母と娘のメキシコふたり旅

娘と旅をするようになったのは、彼女がまだよちよち歩きだった頃のこと。私はフォトグラファーとして、国内外を取材で巡る日々を送っていました。
気づけば娘は10歳になり、今ではふたりで異国のバスに乗り、洗濯が終わるのを待ちながらハンモックに揺られ、海に身を浸し、夕暮れにはアイスクリームを頬張る。私たちにとって旅は、親子のイベントではなく、生き方そのものになりました。

2歳のイヤイヤ期に旅先で辟易としたこともあれば、パリの取材帰りに、眠ってしまった4歳の娘と重たい機材を抱えて、夕暮れのパリを急いでホテルまで帰ったこともある。途中で、夜ごはんにと買ったお惣菜の紙袋が破れて、中身が道路に散らばってしまった時には、心の中で泣きながら無心でホテルまで歩きました。

当時は頼れる人がいなくて、取材先に連れて行くしか選択肢がありませんでした。それでも回数を重ねるごとに、娘は頼れるパートナーへと進化して、今ではふたりで旅することは、私たちにとって欠かすことのできないライフスタイルの一部になりました。

それに、片親家庭で私の価値観だけを押し付けたくなかったから、
「世界には色々な考え方の人がいるんだよ」
「だからあなたも、自分の大切にしたい価値観は自分で選んでいいんだよ」
そう伝えたくて、誰かの日常にお邪魔する旅を続けてきました。

旅が暮らしの一部である私たち母娘だけど、メキシコは、まさに”大冒険”だった。
ずっと憧れていた、ジャングルの中にひっそりと佇む「セノーテ」
スキューバダイビングに夢中だった20代の頃から、いつか潜ってみたいと思いながらも、アクセスや治安の心配、そして母になったことで「そのうち行けたらいいな」と、夢のままにしていました。

けれど離婚という大きな選択を選ぶ過程で、私は自分の本質にもう一度戻りたくなったんです。
混乱の中で価値観をひとつずつ見直しながら、「New version of me」へと変わっていく日々。母娘ふたり旅で出会う様々な人との出会いにも刺激を受けました。そして、沖縄に通い、スキンダイビングやフリーダイビングを学び、ライセンスも取得しました。

そんな中、沖縄で出会ったスキンダイビングのインストラクターさんご夫婦が、メキシコのトゥルムに移住したと聞き、思い切って会いに行くことにしたのです。

「メキシコに行く」と話すと、周囲から心配されるのはやはり“治安”。私自身もそれが一番の不安材料で、チケット予約を先延ばしにする日が続きました。
実際、現地ではさまざまな“洗礼”を受けました。
1ドルで乗れると聞いていたバスに10ドル払ったらお釣りがもらえなかったり、バス会社を装う男性に騙されかけたことも。15分のタクシーに15000円を請求されたかと思えば、3時間で1万円ということもあった。金額の基準が分からなくて、お金はただの数字に見えてきた。

また、レストランで100ドル札を渡すと、「お釣りは渡さないよ!それがメキシカンだからね!」と笑われたり(これが冗談だったのかは、最後まで分からなかった)

お金のことだけじゃなく、トイレは流れないし、シャワーも水だし、不便だってたくさんある。日本って、なんて便利で、なんてシステムが整った社会なんだろうと身にしみた反面、生きる力の弱さにも気がついた。

最初は戸惑い、理不尽さに憤りすら感じたけれど、怒るエネルギーも持て余すうちに、ただ笑って受け入れる自分が現れてくる。
そうして初めて、その土地と呼吸が合うような気がしたんです。
人々のあっけらかんとした態度、色彩に溢れる町並み、流れる時間のリズム。それらすべてが、どこか懐かしく、肌に合った。不便さや騙されそうになることすら、「生きてる実感」になる国。メキシコは、そんな場所でした。

旅はいつだって、「自分という枠組みの外側に出ること」だと思う。
いつもと同じ会社、いつもと同じ道、いつもと同じ景色…それは安心感があるけれど、見えなくなってしまうものもある。
何かに行き詰まったとしても、同じ価値観でいる限りは答えが見つからないことだって多い。

娘と旅をするようになったのは、彼女がまだよちよち歩きだった頃のこと。
私はフォトグラファーとして、国内外を取材で巡る日々を送っていました。

気づけば娘は10歳になり、今ではふたりで異国のバスに乗り、洗濯が終わるのを待ちながらハンモックに揺られ、海に身を浸し、夕暮れにはアイスクリームを頬張る。
私たちにとって旅は、親子のイベントではなく、生き方そのものになりました。

2歳のイヤイヤ期に旅先で辟易としたこともあれば、パリの取材帰りに、眠ってしまった4歳の娘と重たい機材を抱えて、夕暮れのパリを急いでホテルまで帰ったこともある。途中で、夜ごはんにと買ったお惣菜の紙袋が破れて、中身が道路に散らばってしまった時には、心の中で泣きながら無心でホテルまで歩きました。

当時は頼れる人がいなくて、取材先に連れて行くしか選択肢がありませんでした。それでも回数を重ねるごとに、娘は頼れるパートナーへと進化して、今ではふたりで旅することは、私たちにとって欠かすことのできないライフスタイルの一部になりました。
それに片親家庭で私の価値観だけを押し付けたくなかったから、
「世界には色々な考え方の人がいるんだよ」
「だからあなたも、自分の大切にしたい価値観は自分で選んでいいんだよ」
そう伝えたくて、誰かの日常にお邪魔する旅を続けてきました。

旅が暮らしの一部である私たち母娘だけど、メキシコは、まさに”大冒険”だった。
ずっと憧れていた、ジャングルの中にひっそりと佇む「セノーテ」
スキューバダイビングに夢中だった20代の頃から、いつか潜ってみたいと思いながらも、アクセスや治安の心配、そして母になったことで「そのうち行けたらいいな」と、夢のままにしていました。

けれど離婚という大きな選択を選ぶ過程で、私は自分の本質にもう一度戻りたくなったんです。
混乱の中で価値観をひとつずつ見直しながら、「New version of me」へと変わっていく日々。
母娘ふたり旅で出会う様々な人との出会いにも刺激を受けました。

そして、沖縄に通い、スキンダイビングやフリーダイビングを学び、ライセンスも取得。
そんな中、沖縄で出会ったスキンダイビングのインストラクターさんご夫婦が、メキシコのトゥルムに移住したと聞き、思い切って会いに行くことにしたのです。

「メキシコに行く」と話すと、周囲から心配されるのはやはり“治安”。私自身もそれが一番の不安材料で、チケット予約を先延ばしにする日が続きました。
実際、現地ではさまざまな“洗礼”を受けました。
1ドルで乗れると聞いていたバスに10ドル払ったらお釣りがもらえなかったり、バス会社を装う男性に騙されかけたことも。15分のタクシーに15000円を請求されたかと思えば、3時間で1万円ということもあった。金額の基準が分からなくて、お金はただの数字に見えてきた。

また、レストランで100ドル札を渡すと、「お釣りは渡さないよ!それがメキシカンだからね!」と笑われたり(これが冗談だったのかは、最後まで分からなかった)

お金のことだけじゃなく、トイレは流れないし、シャワーも水だし、不便だってたくさんある。日本って、なんて便利で、なんてシステムが整った社会なんだろうと身にしみた反面、生きる力の弱さにも気がついた。

最初は戸惑い、理不尽さに憤りすら感じたけれど、怒るエネルギーも持て余すうちに、ただ笑って受け入れる自分が現れてくる。そうして初めて、その土地と呼吸が合うような気がしたんです。
人々のあっけらかんとした態度、色彩に溢れる町並み、流れる時間のリズム。それらすべてが、どこか懐かしく、肌に合った。不便さや騙されそうになることすら、「生きてる実感」になる国。
メキシコは、そんな場所でした。

旅はいつだって、「自分という枠組みの外側に出ること」だと思う。
いつもと同じ会社、いつもと同じ道、いつもと同じ景色…それは安心感があるけれど、見えなくなってしまうものもある。何かに行き詰まったとしても、同じ価値観でいる限りは答えが見つからないことだって多い。

ルールのない世界の中で、感覚を研ぎ澄ませて動く。
それは原始的で、生きるってこうだったな、と思い出すような感覚。
娘もきっと、いろんな価値観を吸収しながら
“彼女自身”になっていくのだろうと思う。
そんな価値観をたくさん見せてあげられる”母”でありたい。そう改めて思った。

今回の旅で、私もまたひとつ殻を脱いだ気がする。価値観が壊れた瞬間、思わず笑ってしまった自分がいた。
その時思った。
「私、また新しい自分に出会ってる」。
そこには娘との関係の中で気づいた、「自分の変化」が確かにあった。

メキシコのじりじりとした陽射しの下で、
私たちは今日も、どこでもない「ここ」を歩いていた。

ルールのない世界の中で、感覚を研ぎ澄ませて動く。
それは原始的で、生きるってこうだったな、と思い出すような感覚。娘もきっと、いろんな価値観を吸収しながら“彼女自身”になっていくのだろうと思う。
そんな価値観をたくさん見せてあげられる”母”でありたい。そう改めて思った。

今回の旅で、私もまたひとつ殻を脱いだ気がする。価値観が壊れた瞬間、思わず笑ってしまった自分がいた。
その時思った。「私、また新しい自分に出会ってる」。
そこには娘との関係の中で気づいた、「自分の変化」が確かにあった。

メキシコのじりじりとした陽射しの下で、
私たちは今日も、どこでもない「ここ」を歩いていた。

ルールのない世界の中で、感覚を研ぎ澄ませて動く。
それは原始的で、生きるってこうだったな、と思い出すような感覚。娘もきっと、いろんな価値観を吸収しながら“彼女自身”になっていくのだろうと思う。
そんな価値観をたくさん見せてあげられる”母”でありたい。そう改めて思った。

今回の旅で、私もまたひとつ殻を脱いだ気がする。価値観が壊れた瞬間、思わず笑ってしまった自分がいた。
その時思った。
「私、また新しい自分に出会ってる」。
そこには娘との関係の中で気づいた、「自分の変化」が確かにあった。

メキシコのじりじりとした陽射しの下で、
私たちは今日も、どこでもない「ここ」を歩いていた。

清水 美由紀

フォトグラファー。ライフスタイル系の媒体を中心に、暮らしや旅にまつわる撮影のほか、フォトエッセイの執筆やイベント企画も行う。日本&世界を娘と二人で旅しながら暮らしており、感性を軸としたワークショップやコミュニティも展開している。著書「二十四節気 暦のレシピ」(日本文芸社)

清水 美由紀

フォトグラファー。ライフスタイル系の媒体を中心に、暮らしや旅にまつわる撮影のほか、フォトエッセイの執筆やイベント企画も行う。日本&世界を娘と二人で旅しながら暮らしており、感性を軸としたワークショップやコミュニティも展開している。著書「二十四節気 暦のレシピ」(日本文芸社)