- 境界線を持たないライフスタイルを選択したわたしたちの生き方 -
【WE ARE BORDERLESS】DAI
人生に境界線はない
時代の移り変わりと共に新しい働き方が模索され
ライフスタイルの選択肢が増え
多様な価値観が受け入れらようになったいま
既存の枠に囚われないひとりひとりが自分らしくいられる
柔軟なライフスタイルが少しずつ注目されている
この連載はそんなライフスタイルを送る方たちにフォーカスし、
インタビューを通して見えてくる新しい価値観、
その出会いとストーリーを解き明かす
第9回目は、湘南在住の和光大さんにインタビュー。
幼い頃から世界で活躍するプロサーファーを目指し、オーストラリア留学も経験。
オーストラリアでの生活や旅を通して得た気づきとは?
映像制作をするようになったきっかけや、『今を生きる』ライフスタイルを紐ときます。
writer/editor: MAAYA SATO
Q1. サーフィンを始めたきっかけは?
8歳でサーフィンを始め、当初からプロサーファーを目指していました。そのために、家族で横浜から湘南に引っ越し、さらに高校からはオーストラリアへ単身留学もしました。
オーストラリアはサーフィンが国技並みにポピュラーで、波も良い。10代の頃は、冬はハワイで、春はオーストラリアというように世界の海を周り、大会に向けてトレーニングをする生活でした。競技者として世界で活躍するのが目標だったので、プロアスリートとして王道のコースを歩んでいたと思います。
留学中も、サーフィン一筋の生活でした。パフォーマンスに影響が出るため、サーフィンに関係ないことは徹底してやらない程、サーフィンがすべて。大会に勝つために全てを取捨選択していました。
Q2. オーストラリアから日本に帰国後、プロとしての活動はいかがでしたか?
オーストラリアでそのまま短大まで出て、二十歳で日本に帰国しました。帰ってきて最初の1年間は、オーストラリアで学んだインプットをうまく出せていたと思います。大会では成績も良くて優勝や準優勝もしました。一方で、国内のツアーで結果を出してもスポンサー契約がうまく進まず、世界に出るための資金は稼げず、徐々に自分の理想と現実のギャップに悩むようになりました。
Q3. Daiさんが感じた理想とギャップとは?
生活費を賄うためにバイトをし、サーフィンも練習しないといけない。大会に出場する資金はないけど、プロとして大会に出ないといけないという葛藤。資金を借りても、それを返すためにこの試合で勝って賞金を稼がないといけないというプレッシャーが付きまとう。悪循環でした。
人生を全てサーフィンに捧げてきたのに、純粋に楽しめていない自分。
その時成績も下がり始めて、スポンサー契約も少なくなっていき、色んなことが重なって最終的にシード外選手まで落ちてしまいました。体重も落ちて、今よりも8キロ痩せて、ついには24歳の時にメンタルがやられてしまい、サーフィンをやめようかなとも考えました。
Q4. サーフィンとの向き合い方が変わったきっかけは?
今までの人生すべてをサーフィンにかけてきたので、サーフィン以外でやりたいことが思いつかなくて、他に何ができるのかわからず本当に悩みました。結果、本当に何がしたいのか、自分と向き合った結果、サーフィンがしたいと思ってオーストラリアに戻る決意をしました。
ここからが自分の中での人生の第二章のスタート。今までは「サーフィン」を軸に人生の選択をしてきましたが、初めて「自分の気持ち」を優先しました。
Q5. オーストラリアで、人生の第二章のスタート!その生活は?
毎日サーフィンができる環境に戻れた時に、やっぱり自分はサーフィンがベースの人間なんだと再確認すると同時に、「やっぱりサーフィンを続けたい」「上手くなりたい」気持ちが強いことに気づけました。世界最高峰の波に乗りながらコーチングを受けつつ、昼はサーフィン、夜はアルバイトという生活。幸せに満ちていました。
1年後にワーホリ期間が終わる頃、学生ビザに変更して、もうしばらくオーストラリアに滞在することにしました。
一方で、24歳になり、将来自分がしたいことにしっかり向き合って考えないといけない時期。
サーフィンに関わっていたい気持ちは大きかったので、プロサーファーを目指す子供達を教えるための勉強を始めました。日本から合宿という形で子供を預かったりもして、気がつけばアルバイトをしなくても、サーフィンだけで生活できるようになってはいました。
とはいえ、このまま日本に帰国した後もサーフィンに関わって生活していくのか、それとも別のことに挑戦するのか。帰国日が近づくにつれてまた悩むようになりました。
そんな時SNSで、旅しながら世界の色んな情報を発信するクリエイターのライフスタイルを見て、本当の自分は「もしかして旅がしたいのかな?」「いろんな場所が見てみたいのかな?」と思ったんです。幼い頃から海外が身近にある環境でしたが、当時は海とステイ先の往復。せっかく海外にいるのにいろんな世界を見れなかったことに疑問を感じました。
そこで、来年ビザが切れた瞬間に世界一周旅行しようって決めたんです。
Q6. オーストラリア生活で自分と向き合い、次なる目標を見つけたんですね!
ゆくゆくは旅をしながら、サーフィンや映像で生活できるようになるのが目標でした。
日本に帰ってきてから1年間、映像を独学で死ぬ気で勉強する傍ら、旅に必要な資金を貯めました。
その時すでに26歳。旅も、ただ遊ぶのではなく、将来の自分への投資になるように何かを残していけたらと思い、写真や映像を撮ってブログとして発信することに決めました。
そうして迎えた出発の日。
みんなを驚かせたかったので出発の日は、家族以外誰にも言ってませんでした(笑)
インスタで前日に「明日から世界一周してきます」って発表して、周りみんなは予想通り驚いてました。ブログを始めることも告知したら、少ないながらも反響もあり、勇気づけられました。
Q7. やると決めたらすぐ行動に移す、バイタリティが素晴らしい!世界一周の旅で印象に残ったことは?
何ヶ国目かで訪れたモロッコで、道を歩いている子供がゴミを捨てているところを見てしまって衝撃を受けました。今までは、サーファーとして自然に近いところにいるのもあって、ゴミを捨てないのは当たり前の環境。
でも、一度世界に出てみれば自分の当たり前が当たり前じゃないこともある。
世界って広い。そう気づくと同時に、ゴミ問題が頭からずっと離れなくなりました。「何かしたいという強い思いはある、でも自分に何ができるんだろう?」自問自答しながら旅を続けていました。
そんな時、旅の映像を見た方から「心を動かされました」というメッセージが届いて。もしかしたら、「映像で伝えられることがあるかも知れない。映像と旅とゴミ問題を掛け合わせて作品を作ってみよう」と思いました。これが後の『Breath in the Moment』です。
とは言え、人生をサーフィンに捧げてたから自分には社会経験もない。メールの書き方すらわからない。映像制作は独学で勉強したものの、未経験。さらに映像制作のための資金も必要。
そんな中で、なんとかしたいという強い想いをバネに、広告代理店で働いている友達に手伝ってもらいながら、企画書を作り企業にアプローチするところからスタートしました。
Q8. ゼロから作り上げる姿勢は本当にインスパイアされます。実際に企業にアプローチした結果はいかがでしたか?
1日に何通もメールして、最初はほとんど手応えがありませんでした(苦笑)
ですがタイミング良く、SDGsという言葉が徐々に日本でも取り上げられてきている時期。環境問題に関心を持つ企業さんも多く、最終的にはスポンサー資金やクラウドファンディングで必要な制作資金が集まりました。
スポンサーには、ドクターブロナー、ハイドロフラスク、コロナビールが賛同してくださりました。
特に、ドクターブロナーは、アメリカ本社に招待までしていただきプレゼンをする機会まで与えてくれました。結果、気に入っていただき自分が提案したスポンサープランA,B,Cのさらに上の、Sプランを考えて提案してくれました。
そんなこんなで2019年4月に『Breath in the Moment』映像制作プロジェクトを開始し、その年の11月末には準備が整い、4人のサーファーメンバーとカメラマンの5人で出発しました。
Q9. いよいよ映像制作プロジェクト始動ですね!作品のテーマは?
当初スポンサーさんには、作品では環境問題やゴミ問題について取り上げたいと伝えていました。でも話を進めるにつれて、自分の中で徐々に気持ちの変化に気づきました。
そこで、もう一度作品で伝えたいことを良く考えた時に、ゴミ問題そのものについて伝えたいのではなくて、あくまでも自分が世界一周の旅をしていて得た「気づき」がゴミ問題でした。今回のメンバーそれぞれが旅を通して感じた気持ちをありのままに表現する方がいいのではないかと結論が出ました。
こうして今の自分が伝えたいことにまっすぐ向き合った結果、
最終的にテーマは「今を生きる」に落ち着きました。
その後、約1ヶ月の撮影から帰国したのが2019年の年末。プレミア上映会の予定が、2020年4月だったのですが、世間はコロナ禍に突入し、なんと上映会当日に緊急事態宣言が出てしまいました。延期に延期を重ねて、2021年6月にやっと初上映会となりました。
Q10. 無事に決行することができた『Breath in the Moment』プレミア上映会。反響はいかがでしたか?
プレミア上映会は、本当に色んな人が来てくれて大成功でした。
延期をして充分な告知時間が取れたことで、当初想定していたゲストだけでなく、幅広い業界の方たちを招待できて、結果的にとても盛り上がりました。サーフィンだけじゃなくて、山やキャンプなどアウトドア業界の方々、ファッション関係の方々まで来てくれました。
プレミア上映会が終わった後も、「自然を感じながら作品を見て考える」をコンセプトにした上映会を企画。北海道をはじめ、長野県、愛知県、宮城県、沖縄県、湘南など様々な場所で上映会を行い、反響がありました。
Q11. 直近では1ヶ月間ヨーロッパに旅したそうですが、今回の旅の目的はありますか?
『Breath in the Moment』撮影の旅から今年で4年という節目。自分の中で人生の第二章が終わった今、第二章の始まりの舞台である国を改めて周って、この数年間は自分にとってどんなものだったのか、自分自身の根底にあるものは何なのかを振り返る旅にしたいと思って。
今の時代あるあるだと思うんですが、自分の中で「大事にしていること」を、自分の好きな人や、憧れる人、もしくは社会の軸に寄せていってしまった結果、自分じゃなくなってしまってモヤモヤしたり、ギャップに苦しんだりすることってあると思うんです。ブレていることに気づきつつも、本当に自分が大切にしていることが分からなくなってしまう感覚。
本来は、自分軸と社会軸を混ぜてはいけないと思っています。陰と陽のような、絶妙なバランスを保つためにも自分軸をしっかり持って、ブレないように向き合うしかないと思うんです。
僕にとっては旅が、本当の自分に向き合える手段です。
普段の自分がいる環境と違う場所はストレスもかかる。そんな時に出る行動や気持ちを通じて、自分のポジティブな面ネガティブな面含めて新しい自分を発見し、理解する。
色々な気づきを与えてくれるのが旅。そんな想いがあって、以前『Breath in the Moment』で訪れたフランスやモロッコを訪れることに決めました。ブレていないか、そこにちゃんと自分がいるのか。確かめに行きたいと思っています。
Q12. 振り返り旅のルートと旅スタイルは?
今回は、旅先でキャンピングカーを借りて国を巡るバンライフスタイルに挑戦しました。宿を探す時間に縛られず、フットワーク軽く行動できるのでバンを借りて大正解でした。
旅のルートは、フランスのビアリッツからスタート。それからポルトガルのリスボン、エリセイラ、ポルトを周って、スペインに入国。ビルバオや、サンセバスチャンを訪れたあとパリに戻ってモロッコに向かいました。カサブランカ、タガズート、マラケシュ、メルズガ、フェズなどサーフィンのメッカと呼ばれる海辺の街や砂漠などを巡りました。
Q13. 4年ぶりに同じ場所を訪れてみて、感じたことは?
4年って長い期間だと思うんですけど、あんまり変わってないという印象が強かったです。
同じ4年間でも、日本ではトレンドの影響だったり、世間の在り方が瞬く間に変わりますから。
僕がオーストラリアを好きなのも、変わらない良さがあるからです。
そういう意味では、モロッコは僕にとってアナザースカイのような、定期的に訪れたいと思える場所の一つ。
それくらいモロッコが好きです。色々気づかせてくれる場所になっている。
今回サーフライダーにインタビューしに行った時、4年前と同じ質問をしたんですが、返ってきた質問が同じで、それに対してショックを受けました。世の中本当に色々な問題がある中で、この環境問題は4年間で解決できないくらい大きな問題なんだと、改めて問題を突きつけられたように感じました。
それでももちろん、変化もあって。今回4年ぶりにモロッコに行って、一番変わったなと思うのが、
現地の人たちと僕ら観光客の間にある空気感です。
以前訪れた時に感じた、マラケシュの地元民のエネルギー。強い客引きどころじゃなくて、生きるために必死な、殺気立っているようなオーラ。
今回もそれを覚悟して身構えていたのですが、拍子抜けするくらい、マイルドで柔らかいエネルギーになっていたと感じました。その変化について知れたのが、ラグを購入する際に、ローカルの方と世間話をした時。コロナをきっかけに地元の方々の物事に対する見方が変わったようでした。
一つはお金。元々その日に稼いだお金はその日に使い切ってしまって貯金する習慣がなかったそう。多分生活費としてやむをえなく使っていたのではないでしょうか。
それが急なパンデミックの訪れで、地元の方はお金に非常に困った時期だったそうです。なんとか親戚の農家から野菜や食料をもらったりしてなんとか生活していた。それと同時に、観光で生活が成り立っていることや、観光客に来てもらう大切さを知れたと言っていました。
以前訪れた時はこのような話ができるような雰囲気がなかったので、個人的に一番変化を感じて...暖かい気持ちになった瞬間でした。
Q14. 4年ぶりに訪れて自分自身の気持ちの変化はどうでしたか?
自分自身のマインドがどう変わるのか。これは僕自身も楽しみにしていた部分でした。
結果からお伝えすると、色々変化しました。
もちろん、あの頃から目標にしていること、向かっている場所、大切にしていることは変わっていません。それでも、自分はブレていたんだなと突きつけられる感覚でした。
「Breath in the Moment」で辿った道と、90%くらい同じほぼ変わらないルートで実行したこの旅。「このお店入ったかな?」「あ、この場所にカメラ置いて撮影したな」「ここで現地の人と話したな」場所や景色をみながら、その時の細かい心情を思い出しました。
ああ、あの時はこういう気持ちで取り組んでいたんだ。
同じルートを辿ることによって、あの時の自分の感情と、今の自分の気持ちの比較がすごくできました。
当時は、自分軸が強くて。やりたいことや、パッションだけを持って正面からぶつかっていた。他の人がどう思うか、周りの人の動きを考えるよりも、「自分はこれを伝えたい!」という一心でやっていた気がします。
「Breath in the Moment」の撮影旅が終わって、パンデミックが始まって、上映会があって。日本で過ごすうちに、社会軸の存在に気づきました。
それが、今回振り返り旅に出てみて、社会軸の方に若干寄っていたんだなということに気づくことができた。
大事なのは社会軸と自分軸のバランスなんだと思います。
それに気づくことができたのは、同じルートを辿る中で、あの時のパッションが蘇ってきて、深い部分にあった気持ちを鮮明に思い出すことができたから。だからこそ、バランスが取れてなかったことに気づいたと思うんです。
改めて振り返ってみて、変化があったところ、なかったところたくさんありますが、自分の気持ちに関しては変化しかなかったです。本当にこの旅をやってよかった。
本当にこの旅をやってよかった。全部で24日間、人生で例えたら短い期間ですが、毎日一生懸命生きた。
まさに自分の人生のテーマである、「今を生きる」を全うしたロードトリップでした。
自分の気持ちにしっかり向き合えたのは、モロッコの大自然のおかげ。
"第三章のテーマは、そのバランスを保ちながらいかに自分軸の生き方を貫けるか"なのかもしれない。
だからこそ、見ること、知ること、振り返ることが大切だと実感しました。
自分の行動や価値観が変わるきっかけを、自分から作ること。
これからは、この自分軸と社会軸のバランスをしっかり取れるように、今後どう動いたらいいのかなというのを自分の中で気持ちを整理しています。
- 境界線を持たないライフスタイルを選択したわたしたちの生き方 -
人生に境界線はない
時代の移り変わりと共に新しい働き方が模索され
ライフスタイルの選択肢が増え
多様な価値観が受け入れらようになったいま
既存の枠に囚われないひとりひとりが自分らしくいられる
柔軟なライフスタイルが少しずつ注目されている
この連載はそんなライフスタイルを送る方たちにフォーカスし、
インタビューを通して見えてくる新しい価値観、
その出会いとストーリーを解き明かす
第9回目は、湘南在住の和光大さんにインタビュー。
幼い頃から世界で活躍するプロサーファーを目指し、オーストラリア留学も経験。
オーストラリアでの生活や旅を通して得た気づきとは?
映像制作をするようになったきっかけや、『今を生きる』ライフスタイルを紐ときます。
writer/editor: MAAYA SATO
Q1. サーフィンを始めたきっかけは?
8歳でサーフィンを始め、当初からプロサーファーを目指していました。そのために、家族で横浜から湘南に引っ越し、さらに高校からはオーストラリアへ単身留学もしました。
オーストラリアはサーフィンが国技並みにポピュラーで、波も良い。10代の頃は、冬はハワイで、春はオーストラリアというように世界の海を周り、大会に向けてトレーニングをする生活でした。競技者として世界で活躍するのが目標だったので、プロアスリートとして王道のコースを歩んでいたと思います。
留学中も、サーフィン一筋の生活でした。パフォーマンスに影響が出るため、サーフィンに関係ないことは徹底してやらない程、サーフィンがすべて。大会に勝つために全てを取捨選択していました。
Q2. オーストラリアから日本に帰国後、プロとしての活動はいかがでしたか?
オーストラリアでそのまま短大まで出て、二十歳で日本に帰国しました。帰ってきて最初の1年間は、オーストラリアで学んだインプットをうまく出せていたと思います。大会では成績も良くて優勝や準優勝もしました。一方で、国内のツアーで結果を出してもスポンサー契約がうまく進まず、世界に出るための資金は稼げず、徐々に自分の理想と現実のギャップに悩むようになりました。
Q3. Daiさんが感じた理想とギャップとは?
生活費を賄うためにバイトをし、サーフィンも練習しないといけない。大会に出場する資金はないけど、プロとして大会に出ないといけないという葛藤。資金を借りても、それを返すためにこの試合で勝って賞金を稼がないといけないというプレッシャーが付きまとう。悪循環でした。
人生を全てサーフィンに捧げてきたのに、純粋に楽しめていない自分。
その時成績も下がり始めて、スポンサー契約も少なくなっていき、色んなことが重なって最終的にシード外選手まで落ちてしまいました。体重も落ちて、今よりも8キロ痩せて、ついには24歳の時にメンタルがやられてしまい、サーフィンをやめようかなとも考えました。
Q4. サーフィンとの向き合い方が変わったきっかけは?
今までの人生すべてをサーフィンにかけてきたので、サーフィン以外でやりたいことが思いつかなくて、他に何ができるのかわからず本当に悩みました。結果、本当に何がしたいのか、自分と向き合った結果、サーフィンがしたいと思ってオーストラリアに戻る決意をしました。
ここからが自分の中での人生の第二章のスタート。今までは「サーフィン」を軸に人生の選択をしてきましたが、初めて「自分の気持ち」を優先しました。
Q5. オーストラリアで、人生の第二章のスタート!その生活は?
毎日サーフィンができる環境に戻れた時に、やっぱり自分はサーフィンがベースの人間なんだと再確認すると同時に、「やっぱりサーフィンを続けたい」「上手くなりたい」気持ちが強いことに気づけました。世界最高峰の波に乗りながらコーチングを受けつつ、昼はサーフィン、夜はアルバイトという生活。幸せに満ちていました。
1年後にワーホリ期間が終わる頃、学生ビザに変更して、もうしばらくオーストラリアに滞在することにしました。
一方で、24歳になり、将来自分がしたいことにしっかり向き合って考えないといけない時期。
サーフィンに関わっていたい気持ちは大きかったので、プロサーファーを目指す子供達を教えるための勉強を始めました。日本から合宿という形で子供を預かったりもして、気がつけばアルバイトをしなくても、サーフィンだけで生活できるようになってはいました。
とはいえ、このまま日本に帰国した後もサーフィンに関わって生活していくのか、それとも別のことに挑戦するのか。帰国日が近づくにつれてまた悩むようになりました。
そんな時SNSで、旅しながら世界の色んな情報を発信するクリエイターのライフスタイルを見て、本当の自分は「もしかして旅がしたいのかな?」「いろんな場所が見てみたいのかな?」と思ったんです。幼い頃から海外が身近にある環境でしたが、当時は海とステイ先の往復。せっかく海外にいるのにいろんな世界を見れなかったことに疑問を感じました。
そこで、来年ビザが切れた瞬間に世界一周旅行しようって決めたんです。
Q6. オーストラリア生活で自分と向き合い、次なる目標を見つけたんですね!
ゆくゆくは旅をしながら、サーフィンや映像で生活できるようになるのが目標でした。
日本に帰ってきてから1年間、映像を独学で死ぬ気で勉強する傍ら、旅に必要な資金を貯めました。
その時すでに26歳。旅も、ただ遊ぶのではなく、将来の自分への投資になるように何かを残していけたらと思い、写真や映像を撮ってブログとして発信することに決めました。
そうして迎えた出発の日。
みんなを驚かせたかったので出発の日は、家族以外誰にも言ってませんでした(笑)
インスタで前日に「明日から世界一周してきます」って発表して、周りみんなは予想通り驚いてました。ブログを始めることも告知したら、少ないながらも反響もあり、勇気づけられました。
Q7. やると決めたらすぐ行動に移す、バイタリティが素晴らしい!世界一周の旅で印象に残ったことは?
何ヶ国目かで訪れたモロッコで、道を歩いている子供がゴミを捨てているところを見てしまって衝撃を受けました。今までは、サーファーとして自然に近いところにいるのもあって、ゴミを捨てないのは当たり前の環境。
でも、一度世界に出てみれば自分の当たり前が当たり前じゃないこともある。
世界って広い。そう気づくと同時に、ゴミ問題が頭からずっと離れなくなりました。「何かしたいという強い思いはある、でも自分に何ができるんだろう?」自問自答しながら旅を続けていました。
そんな時、旅の映像を見た方から「心を動かされました」というメッセージが届いて。もしかしたら、「映像で伝えられることがあるかも知れない。映像と旅とゴミ問題を掛け合わせて作品を作ってみよう」と思いました。これが後の『Breath in the Moment』です。
とは言え、人生をサーフィンに捧げてたから自分には社会経験もない。メールの書き方すらわからない。映像制作は独学で勉強したものの、未経験。さらに映像制作のための資金も必要。
そんな中で、なんとかしたいという強い想いをバネに、広告代理店で働いている友達に手伝ってもらいながら、企画書を作り企業にアプローチするところからスタートしました。
Q8. ゼロから作り上げる姿勢は本当にインスパイアされます。実際に企業にアプローチした結果はいかがでしたか?
1日に何通もメールして、最初はほとんど手応えがありませんでした(苦笑)
ですがタイミング良く、SDGsという言葉が徐々に日本でも取り上げられてきている時期。環境問題に関心を持つ企業さんも多く、最終的にはスポンサー資金やクラウドファンディングで必要な制作資金が集まりました。
スポンサーには、ドクターブロナー、ハイドロフラスク、コロナビールが賛同してくださりました。
特に、ドクターブロナーは、アメリカ本社に招待までしていただきプレゼンをする機会まで与えてくれました。結果、気に入っていただき自分が提案したスポンサープランA,B,Cのさらに上の、Sプランを考えて提案してくれました。
そんなこんなで2019年4月に『Breath in the Moment』映像制作プロジェクトを開始し、その年の11月末には準備が整い、4人のサーファーメンバーとカメラマンの5人で出発しました。
そんな時、旅の映像を見た方から「心を動かされました」というメッセージが届いて。
もしかしたら、「映像で伝えられることがあるかも知れない。映像と旅とゴミ問題を掛け合わせて作品を作ってみよう」と思いました。これが後の『Breath in the Moment』です。
とは言え、人生をサーフィンに捧げてたから自分には社会経験もない。メールの書き方すらわからない。映像制作は独学で勉強したものの、未経験。さらに映像制作のための資金も必要。
そんな中で、なんとかしたいという強い想いをバネに、広告代理店で働いている友達に手伝ってもらいながら、企画書を作り企業にアプローチするところからスタートしました。
Q9. いよいよ映像制作プロジェクト始動ですね!作品のテーマは?
当初スポンサーさんには、作品では環境問題やゴミ問題について取り上げたいと伝えていました。でも話を進めるにつれて、自分の中で徐々に気持ちの変化に気づきました。
そこで、もう一度作品で伝えたいことを良く考えた時に、ゴミ問題そのものについて伝えたいのではなくて、あくまでも自分が世界一周の旅をしていて得た「気づき」がゴミ問題でした。今回のメンバーそれぞれが旅を通して感じた気持ちをありのままに表現する方がいいのではないかと結論が出ました。
こうして今の自分が伝えたいことにまっすぐ向き合った結果、
最終的にテーマは「今を生きる」に落ち着きました。
その後、約1ヶ月の撮影から帰国したのが2019年の年末。プレミア上映会の予定が、2020年4月だったのですが、世間はコロナ禍に突入し、なんと上映会当日に緊急事態宣言が出てしまいました。延期に延期を重ねて、2021年6月にやっと初上映会となりました。
Q10. 無事に決行することができた『Breath in the Moment』プレミア上映会。反響はいかがでしたか?
プレミア上映会は、本当に色んな人が来てくれて大成功でした。
延期をして充分な告知時間が取れたことで、当初想定していたゲストだけでなく、幅広い業界の方たちを招待できて、結果的にとても盛り上がりました。サーフィンだけじゃなくて、山やキャンプなどアウトドア業界の方々、ファッション関係の方々まで来てくれました。
プレミア上映会が終わった後も、「自然を感じながら作品を見て考える」をコンセプトにした上映会を企画。北海道をはじめ、長野県、愛知県、宮城県、沖縄県、湘南など様々な場所で上映会を行い、反響がありました。
Q11. 直近では1ヶ月間ヨーロッパに旅したそうですが、今回の旅の目的はありますか?
『Breath in the Moment』撮影の旅から今年で4年という節目。自分の中で人生の第二章が終わった今、第二章の始まりの舞台である国を改めて周って、この数年間は自分にとってどんなものだったのか、自分自身の根底にあるものは何なのかを振り返る旅にしたいと思って。
今の時代あるあるだと思うんですが、自分の中で「大事にしていること」を、自分の好きな人や、憧れる人、もしくは社会の軸に寄せていってしまった結果、自分じゃなくなってしまってモヤモヤしたり、ギャップに苦しんだりすることってあると思うんです。ブレていることに気づきつつも、本当に自分が大切にしていることが分からなくなってしまう感覚。
本来は、自分軸と社会軸を混ぜてはいけないと思っています。陰と陽のような、絶妙なバランスを保つためにも自分軸をしっかり持って、ブレないように向き合うしかないと思うんです。
僕にとっては旅が、本当の自分に向き合える手段です。
普段の自分がいる環境と違う場所はストレスもかかる。そんな時に出る行動や気持ちを通じて、自分のポジティブな面ネガティブな面含めて新しい自分を発見し、理解する。
色々な気づきを与えてくれるのが旅。そんな想いがあって、以前『Breath in the Moment』で訪れたフランスやモロッコを訪れることに決めました。ブレていないか、そこにちゃんと自分がいるのか。確かめに行きたいと思っています。
Q12. 振り返り旅のルートと旅スタイルは?
今回は、旅先でキャンピングカーを借りて国を巡るバンライフスタイルに挑戦しました。宿を探す時間に縛られず、フットワーク軽く行動できるのでバンを借りて大正解でした。
旅のルートは、フランスのビアリッツからスタート。それからポルトガルのリスボン、エリセイラ、ポルトを周って、スペインに入国。ビルバオや、サンセバスチャンを訪れたあとパリに戻ってモロッコに向かいました。カサブランカ、タガズート、マラケシュ、メルズガ、フェズなどサーフィンのメッカと呼ばれる海辺の街や砂漠などを巡りました。
Q13. 4年ぶりに同じ場所を訪れてみて、感じたことは?
4年って長い期間だと思うんですけど、あんまり変わってないという印象が強かったです。
同じ4年間でも、日本ではトレンドの影響だったり、世間の在り方が瞬く間に変わりますから。
僕がオーストラリアを好きなのも、変わらない良さがあるからです。
そういう意味では、モロッコは僕にとってアナザースカイのような、定期的に訪れたいと思える場所の一つ。
それくらいモロッコが好きです。色々気づかせてくれる場所になっている。
今回サーフライダーにインタビューしに行った時、4年前と同じ質問をしたんですが、返ってきた質問が同じで、それに対してショックを受けました。世の中本当に色々な問題がある中で、この環境問題は4年間で解決できないくらい大きな問題なんだと、改めて問題を突きつけられたように感じました。
それでももちろん、変化もあって。今回4年ぶりにモロッコに行って、一番変わったなと思うのが、現地の人たちと僕ら観光客の間にある空気感です。
以前訪れた時に感じた、マラケシュの地元民のエネルギー。強い客引きどころじゃなくて、生きるために必死な、殺気立っているようなオーラ。
今回もそれを覚悟して身構えていたのですが、拍子抜けするくらい、マイルドで柔らかいエネルギーになっていたと感じました。
一つはお金。元々その日に稼いだお金はその日に使い切ってしまって貯金する習慣がなかったそう。多分生活費としてやむをえなく使っていたのではないでしょうか。
それが急なパンデミックの訪れで、地元の方はお金に非常に困った時期だったそうです。なんとか親戚の農家から野菜や食料をもらったりしてなんとか生活していた。それと同時に、観光で生活が成り立っていることや、観光客に来てもらう大切さを知れたと言っていました。
以前訪れた時はこのような話ができるような雰囲気がなかったので、個人的に一番変化を感じて...暖かい気持ちになった瞬間でした。
Q14. 4年ぶりに訪れて自分自身の気持ちの変化はどうでしたか?
自分自身のマインドがどう変わるのか。これは僕自身も楽しみにしていた部分でした。
結果からお伝えすると、色々変化しました。
もちろん、あの頃から目標にしていること、向かっている場所、大切にしていることは変わっていません。それでも、自分はブレていたんだなと突きつけられる感覚でした。
「Breath in the Moment」で辿った道と、90%くらい同じほぼ変わらないルートで実行したこの旅。「このお店入ったかな?」「あ、この場所にカメラ置いて撮影したな」「ここで現地の人と話したな」場所や景色をみながら、その時の細かい心情を思い出しました。
ああ、あの時はこういう気持ちで取り組んでいたんだ。
同じルートを辿ることによって、あの時の自分の感情と、今の自分の気持ちの比較がすごくできました。
当時は、自分軸が強くて。やりたいことや、パッションだけを持って正面からぶつかっていた。他の人がどう思うか、周りの人の動きを考えるよりも、「自分はこれを伝えたい!」という一心でやっていた気がします。
「Breath in the Moment」の撮影旅が終わって、パンデミックが始まって、上映会があって。日本で過ごすうちに、社会軸の存在に気づきました。
それが、今回振り返り旅に出てみて、社会軸の方に若干寄っていたんだなということに気づくことができた。
大事なのは社会軸と自分軸のバランスなんだと思います。
それに気づくことができたのは、同じルートを辿る中で、あの時のパッションが蘇ってきて、深い部分にあった気持ちを鮮明に思い出すことができたから。だからこそ、バランスが取れてなかったことに気づいたと思うんです。
改めて振り返ってみて、変化があったところ、なかったところたくさんありますが、自分の気持ちに関しては変化しかなかったです。本当にこの旅をやってよかった。
本当にこの旅をやってよかった。全部で24日間、人生で例えたら短い期間ですが、毎日一生懸命生きた。
まさに自分の人生のテーマである、「今を生きる」を全うしたロードトリップでした。
自分の気持ちにしっかり向き合えたのは、モロッコの大自然のおかげ。
"第三章のテーマは、そのバランスを保ちながらいかに自分軸の生き方を貫けるか"
なのかもしれない。
だからこそ、見ること、知ること、振り返ることが大切だと実感しました。
自分の行動や価値観が変わるきっかけを、自分から作ること。
これからは、この自分軸と社会軸のバランスをしっかり取れるように、今後どう動いたらいいのかなというのを自分の中で気持ちを整理しています。
- 境界線を持たないライフスタイルを選択したわたしたちの生き方 -
人生に境界線はない
時代の移り変わりと共に新しい働き方が模索され
ライフスタイルの選択肢が増え
多様な価値観が受け入れらようになったいま
既存の枠に囚われないひとりひとりが自分らしくいられる
柔軟なライフスタイルが少しずつ注目されている
この連載はそんなライフスタイルを送る方たちにフォーカスし、
インタビューを通して見えてくる新しい価値観、
その出会いとストーリーを解き明かす
第9回目は、湘南在住の和光 大さんにインタビュー。
幼い頃から世界で活躍するプロサーファーを目指し、オーストラリア留学も経験。
オーストラリアでの生活や旅を通して得た気づきとは?
映像制作をするようになったきっかけや、『今を生きる』ライフスタイルを紐ときます。
writer: MAAYA SATO
Q1. サーフィンを始めたきっかけは?
8歳でサーフィンを始め、当初からプロサーファーを目指していました。そのために、家族で横浜から湘南に引っ越し、さらに高校からはオーストラリアへ単身留学もしました。
オーストラリアはサーフィンが国技並みにポピュラーで、波も良い。10代の頃は、冬はハワイで、春はオーストラリアというように世界の海を周り、大会に向けてトレーニングをする生活でした。競技者として世界で活躍するのが目標だったので、プロアスリートとして王道のコースを歩んでいたと思います。
留学中も、サーフィン一筋の生活でした。パフォーマンスに影響が出るため、サーフィンに関係ないことは徹底してやらない程、サーフィンがすべて。大会に勝つために全てを取捨選択していました。
Q2. オーストラリアから日本に帰国後、プロとしての活動はいかがでしたか?
オーストラリアでそのまま短大まで出て、二十歳で日本に帰国しました。帰ってきて最初の1年間は、オーストラリアで学んだインプットをうまく出せていたと思います。大会では成績も良くて優勝や準優勝もしました。一方で、国内のツアーで結果を出してもスポンサー契約がうまく進まず、世界に出るための資金は稼げず、徐々に自分の理想と現実のギャップに悩むようになりました。
Q3. Daiさんが感じた理想とギャップとは?
国内のツアーで結果を出してもスポンサー契約が思うように決まらなかった。そもそも国内ですら、大会に出場する資金を捻出するのが大変でした。日本全国でツアーをするので、遠征代として宿代や交通費もかかります。国内の試合だけでも150万〜200万円はかかっていました。
生活費を賄うためにバイトをし、サーフィンも練習しないといけない。大会に出場する資金はないけど、プロとして大会に出ないといけないという葛藤。資金を借りても、それを返すためにこの試合で勝って賞金を稼がないといけないというプレッシャーが付きまとう。悪循環でした。
人生を全てサーフィンに捧げてきたのに、純粋に楽しめていない自分。
その時成績も下がり始めて、スポンサー契約も少なくなっていき、色んなことが重なって最終的にシード外選手まで落ちてしまいました。体重も落ちて、今よりも8キロ痩せて、ついには24歳の時にメンタルがやられてしまい、サーフィンをやめようかなとも考えました。
Q4. サーフィンとの向き合い方が変わったきっかけは?
今までの人生すべてをサーフィンにかけてきたので、サーフィン以外でやりたいことが思いつかなくて、他に何ができるのかわからず本当に悩みました。結果、本当に何がしたいのか、自分と向き合った結果、サーフィンがしたいと思ってオーストラリアに戻る決意をしました。
ここからが自分の中での人生の第二章のスタート。今までは「サーフィン」を軸に人生の選択をしてきましたが、初めて「自分の気持ち」を優先しました。
Q5. オーストラリアで、人生の第二章のスタート!その生活は?
毎日サーフィンができる環境に戻れた時に、やっぱり自分はサーフィンがベースの人間なんだと再確認すると同時に、「やっぱりサーフィンを続けたい」「上手くなりたい」気持ちが強いことに気づけました。世界最高峰の波に乗りながらコーチングを受けつつ、昼はサーフィン、夜はアルバイトという生活。幸せに満ちていました。
1年後にワーホリ期間が終わる頃、学生ビザに変更して、もうしばらくオーストラリアに滞在することにしました。
一方で、24歳になり、将来自分がしたいことにしっかり向き合って考えないといけない時期。
サーフィンに関わっていたい気持ちは大きかったので、プロサーファーを目指す子供達を教えるための勉強を始めました。日本から合宿という形で子供を預かったりもして、気がつけばアルバイトをしなくても、サーフィンだけで生活できるようになってはいました。
とはいえ、このまま日本に帰国した後もサーフィンに関わって生活していくのか、それとも別のことに挑戦するのか。帰国日が近づくにつれてまた悩むようになりました。
そんな時SNSで、旅しながら世界の色んな情報を発信するクリエイターのライフスタイルを見て、本当の自分は「もしかして旅がしたいのかな?」「いろんな場所が見てみたいのかな?」と思ったんです。幼い頃から海外が身近にある環境でしたが、当時は海とステイ先の往復。せっかく海外にいるのにいろんな世界を見れなかったことに疑問を感じました。
そこで、来年ビザが切れた瞬間に世界一周旅行しようって決めたんです。
Q6. オーストラリア生活で自分と向き合い、次なる目標を見つけたんですね!
ゆくゆくは旅をしながら、サーフィンや映像で生活できるようになるのが目標でした。
日本に帰ってきてから1年間、映像を独学で死ぬ気で勉強する傍ら、旅に必要な資金を貯めました。
その時すでに26歳。旅も、ただ遊ぶのではなく、将来の自分への投資になるように何かを残していけたらと思い、写真や映像を撮ってブログとして発信することに決めました。
そうして迎えた出発の日。
みんなを驚かせたかったので出発の日は、家族以外誰にも言ってませんでした(笑)
インスタで前日に「明日から世界一周してきます」って発表して、周りみんなは予想通り驚いてました。ブログを始めることも告知したら、少ないながらも反響もあり、勇気づけられました。
Q7. やると決めたらすぐ行動に移す、バイタリティが素晴らしい!世界一周の旅で印象に残ったことは?
何ヶ国目かで訪れたモロッコで、道を歩いている子供がゴミを捨てているところを見てしまって衝撃を受けました。今までは、サーファーとして自然に近いところにいるのもあって、ゴミを捨てないのは当たり前の環境。
でも、一度世界に出てみれば自分の当たり前が当たり前じゃないこともある。
世界って広い。そう気づくと同時に、ゴミ問題が頭からずっと離れなくなりました。「何かしたいという強い思いはある、でも自分に何ができるんだろう?」自問自答しながら旅を続けていました。
そんな時、旅の映像を見た方から「心を動かされました」というメッセージが届いて。もしかしたら、「映像で伝えられることがあるかも知れない。映像と旅とゴミ問題を掛け合わせて作品を作ってみよう」と思いました。これが後の『Breath in the Moment』です。
とは言え、人生をサーフィンに捧げてたから自分には社会経験もない。メールの書き方すらわからない。映像制作は独学で勉強したものの、未経験。さらに映像制作のための資金も必要。
そんな中で、なんとかしたいという強い想いをバネに、広告代理店で働いている友達に手伝ってもらいながら、企画書を作り企業にアプローチするところからスタートしました。
Q8. ゼロから作り上げる姿勢は本当にインスパイアされます。実際に企業にアプローチした結果はいかがでしたか?
1日に何通もメールして、最初はほとんど手応えがありませんでした(苦笑)
ですがタイミング良く、SDGsという言葉が徐々に日本でも取り上げられてきている時期。環境問題に関心を持つ企業さんも多く、最終的にはスポンサー資金やクラウドファンディングで必要な制作資金が集まりました。
スポンサーには、ドクターブロナー、ハイドロフラスク、コロナビールが賛同してくださりました。
特に、ドクターブロナーは、アメリカ本社に招待までしていただきプレゼンをする機会まで与えてくれました。結果、気に入っていただき自分が提案したスポンサープランA,B,Cのさらに上の、Sプランを考えて提案してくれました。
そんなこんなで2019年4月に『Breath in the Moment』映像制作プロジェクトを開始し、その年の11月末には準備が整い、4人のサーファーメンバーとカメラマンの5人で出発しました。
Q9. いよいよ映像制作プロジェクト始動ですね!作品のテーマは?
当初スポンサーさんには、作品では環境問題やゴミ問題について取り上げたいと伝えていました。でも話を進めるにつれて、自分の中で徐々に気持ちの変化に気づきました。
そこで、もう一度作品で伝えたいことを良く考えた時に、ゴミ問題そのものについて伝えたいのではなくて、あくまでも自分が世界一周の旅をしていて得た「気づき」がゴミ問題でした。今回のメンバーそれぞれが旅を通して感じた気持ちをありのままに表現する方がいいのではないかと結論が出ました。
こうして今の自分が伝えたいことにまっすぐ向き合った結果、
最終的にテーマは「今を生きる」に落ち着きました。
その後、約1ヶ月の撮影から帰国したのが2019年の年末。プレミア上映会の予定が、2020年4月だったのですが、世間はコロナ禍に突入し、なんと上映会当日に緊急事態宣言が出てしまいました。延期に延期を重ねて、2021年6月にやっと初上映会となりました。
Q10. 無事に決行することができた『Breath in the Moment』プレミア上映会。反響はいかがでしたか?
プレミア上映会は、本当に色んな人が来てくれて大成功でした。
延期をして充分な告知時間が取れたことで、当初想定していたゲストだけでなく、幅広い業界の方たちを招待できて、結果的にとても盛り上がりました。サーフィンだけじゃなくて、山やキャンプなどアウトドア業界の方々、ファッション関係の方々まで来てくれました。
プレミア上映会が終わった後も、「自然を感じながら作品を見て考える」をコンセプトにした上映会を企画。北海道をはじめ、長野県、愛知県、宮城県、沖縄県、湘南など様々な場所で上映会を行い、反響がありました。
Q11. 直近では1ヶ月間ヨーロッパに旅したそうですが、今回の旅の目的はありますか?
『Breath in the Moment』撮影の旅から今年で4年という節目。自分の中で人生の第二章が終わった今、第二章の始まりの舞台である国を改めて周って、この数年間は自分にとってどんなものだったのか、自分自身の根底にあるものは何なのかを振り返る旅にしたいと思って。
今の時代あるあるだと思うんですが、自分の中で「大事にしていること」を、自分の好きな人や、憧れる人、もしくは社会の軸に寄せていってしまった結果、自分じゃなくなってしまってモヤモヤしたり、ギャップに苦しんだりすることってあると思うんです。ブレていることに気づきつつも、本当に自分が大切にしていることが分からなくなってしまう感覚。
本来は、自分軸と社会軸を混ぜてはいけないと思っています。陰と陽のような、絶妙なバランスを保つためにも自分軸をしっかり持って、ブレないように向き合うしかないと思うんです。
僕にとっては旅が、本当の自分に向き合える手段です。
普段の自分がいる環境と違う場所はストレスもかかる。そんな時に出る行動や気持ちを通じて、自分のポジティブな面ネガティブな面含めて新しい自分を発見し、理解する。
色々な気づきを与えてくれるのが旅。そんな想いがあって、以前『Breath in the Moment』で訪れたフランスやモロッコを訪れることに決めました。ブレていないか、そこにちゃんと自分がいるのか。確かめに行きたいと思っています。
Q12. 振り返り旅のルートと旅スタイルは?
今回は、旅先でキャンピングカーを借りて国を巡るバンライフスタイルに挑戦しました。宿を探す時間に縛られず、フットワーク軽く行動できるのでバンを借りて大正解でした。
旅のルートは、フランスのビアリッツからスタート。それからポルトガルのリスボン、エリセイラ、ポルトを周って、スペインに入国。ビルバオや、サンセバスチャンを訪れたあとパリに戻ってモロッコに向かいました。カサブランカ、タガズート、マラケシュ、メルズガ、フェズなどサーフィンのメッカと呼ばれる海辺の街や砂漠などを巡りました。
Q13. 4年ぶりに同じ場所を訪れてみて、感じたことは?
4年って長い期間だと思うんですけど、あんまり変わってないという印象が強かったです。
同じ4年間でも、日本ではトレンドの影響だったり、世間の在り方が瞬く間に変わりますから。
僕がオーストラリアを好きなのも、変わらない良さがあるからです。
そういう意味では、モロッコは僕にとってアナザースカイのような、定期的に訪れたいと思える場所の一つ。
それくらいモロッコが好きです。色々気づかせてくれる場所になっている。
今回サーフライダーにインタビューしに行った時、4年前と同じ質問をしたんですが、返ってきた質問が同じで、それに対してショックを受けました。世の中本当に色々な問題がある中で、この環境問題は4年間で解決できないくらい大きな問題なんだと、改めて問題を突きつけられたように感じました。
それでももちろん、変化もあって。今回4年ぶりにモロッコに行って、一番変わったなと思うのが、現地の人たちと僕ら観光客の間にある空気感です。
以前訪れた時に感じた、マラケシュの地元民のエネルギー。強い客引きどころじゃなくて、生きるために必死な、殺気立っているようなオーラ。
今回もそれを覚悟して身構えていたのですが、拍子抜けするくらい、マイルドで柔らかいエネルギーになっていたと感じました。
その変化について知れたのが、ラグを購入する際に、ローカルの方と世間話をした時。コロナをきっかけに地元の方々の物事に対する見方が変わったようでした。
元々その日に稼いだお金はその日に使い切ってしまって貯金する習慣がなかったそう。多分生活費としてやむをえなく使っていたのではないでしょうか。
それが急なパンデミックの訪れで、地元の方はお金に非常に困った時期だったそうです。なんとか親戚の農家から野菜や食料をもらったりしてなんとか生活していた。それと同時に、観光で生活が成り立っていることや、観光客に来てもらう大切さを知れたと言っていました。
以前訪れた時はこのような話ができるような雰囲気がなかったので、個人的に一番変化を感じて...暖かい気持ちになった瞬間でした。
Q14. 4年ぶりに訪れて自分自身の気持ちの変化はどうでしたか?
自分自身のマインドがどう変わるのか。これは僕自身も楽しみにしていた部分でした。
結果からお伝えすると、色々変化しました。
もちろん、あの頃から目標にしていること、向かっている場所、大切にしていることは変わっていません。それでも、自分はブレていたんだなと突きつけられる感覚でした。
「Breath in the Moment」で辿った道と、90%くらい同じほぼ変わらないルートで実行したこの旅。「このお店入ったかな?」「あ、この場所にカメラ置いて撮影したな」「ここで現地の人と話したな」場所や景色をみながら、その時の細かい心情を思い出しました。
ああ、あの時はこういう気持ちで取り組んでいたんだ。
同じルートを辿ることによって、あの時の自分の感情と、今の自分の気持ちの比較がすごくできました。
当時は、自分軸が強くて。やりたいことや、パッションだけを持って正面からぶつかっていた。他の人がどう思うか、周りの人の動きを考えるよりも、「自分はこれを伝えたい!」という一心でやっていた気がします。
「Breath in the Moment」の撮影旅が終わって、パンデミックが始まって、上映会があって。日本で過ごすうちに、社会軸の存在に気づきました。
それが、今回振り返り旅に出てみて、社会軸の方に若干寄っていたんだなということに気づくことができた。
大事なのは社会軸と自分軸のバランスなんだと思います。
それに気づくことができたのは、同じルートを辿る中で、あの時のパッションが蘇ってきて、深い部分にあった気持ちを鮮明に思い出すことができたから。だからこそ、バランスが取れてなかったことに気づいたと思うんです。
改めて振り返ってみて、変化があったところ、なかったところたくさんありますが、自分の気持ちに関しては変化しかなかったです。本当にこの旅をやってよかった。
本当にこの旅をやってよかった。全部で24日間、人生で例えたら短い期間ですが、毎日一生懸命生きた。
まさに自分の人生のテーマである、「今を生きる」を全うしたロードトリップでした。
自分の気持ちにしっかり向き合えたのは、モロッコの大自然のおかげ。
"第三章のテーマは、そのバランスを保ちながらいかに自分軸の生き方を貫けるか"なのかもしれない。
だからこそ、見ること、知ること、振り返ることが大切だと実感しました。自分の行動や価値観が変わるきっかけを、自分から作ること。
これからは、この自分軸と社会軸のバランスをしっかり取れるように、今後どう動いたらいいのかなというのを自分の中で気持ちを整理しています。
関連記事はこちら