- 境界線を持たないライフスタイルを選択したわたしたちの生き方 -
【WE ARE BORDERLESS】HINAKO
人生に境界線はない
時代の移り変わりと共に
新しい働き方が模索され
ライフスタイルの選択肢が増え
多様な価値観が受け入れらようになったいま
既存の枠に囚われない
ひとりひとりが自分らしくいられる
柔軟なライフスタイルが少しずつ注目されている
この連載はそんなライフスタイルを送る方たちにフォーカスし、
インタビューを通して見えてくる新しい価値観、
その出会いとストーリーを解き明かす
- 境界線を持たないライフスタイルを選択したわたしたちの生き方 -
人生に境界線はない
時代の移り変わりと共に
新しい働き方が模索され
ライフスタイルの選択肢が増え
多様な価値観が受け入れらようになったいま
既存の枠に囚われない
ひとりひとりが自分らしくいられる
柔軟なライフスタイルが少しずつ注目されている
この連載はそんなライフスタイルを送る方たちにフォーカスし、
インタビューを通して見えてくる新しい価値観、
その出会いとストーリーを解き明かす
- 境界線を持たないライフスタイルを選択したわたしたちの生き方 -
人生に境界線はない
時代の移り変わりと共に
新しい働き方が模索され
ライフスタイルの選択肢が増え
多様な価値観が受け入れらようになったいま
既存の枠に囚われない
ひとりひとりが自分らしくいられる
柔軟なライフスタイルが少しずつ注目されている
この連載はそんなライフスタイルを送る方たちにフォーカスし、
インタビューを通して見えてくる新しい価値観、
その出会いとストーリーを解き明かす
HINAKO KANDA カンダ ヒナコ
お住まい:湘南エリア
職 業:フリーランス
趣 味:写真を撮ること、サーフィン、スケートボード
好きな国:ハワイ
座右の銘:自分の好きを大切に
HINAKO KANDA カンダ ヒナコ
お住まい:湘南エリア
職 業:フリーランス
趣 味:写真を撮ること、サーフィン、スケートボード
好きな国:ハワイ
座右の銘:
自分の好きを大切に
HINAKO KANDA カンダ ヒナコ
お住まい:湘南エリア
職 業:フリーランス
趣 味:写真を撮ること、サーフィン、スケートボード
好きな国:ハワイ
座右の銘:
自分の好きを大切に
第8回目は、湘南在住のHinakoさんにインタビュー。8歳で始めたフラをきっかけに、ハワイ留学やフラの大会出場など国境を超えて挑戦するHinakoさん。そんな彼女を通して見えてくる人となり、ハワイと日本を行き来する、そのライフスタイルを紐ときます。
第8回目は、湘南在住のHinakoさんにインタビュー。8歳で始めたフラをきっかけに、ハワイ留学やフラの大会出場など国境を超えて挑戦するHinakoさん。そんな彼女を通して見えてくる人となり、ハワイと日本を行き来する、そのライフスタイルを紐ときます。
Q1. Hinakoさんを語る上で欠かせないフラ。始めたきっかけを教えてください!
当時8歳、親が共働きのため習い事の送り迎えが出来ない状況でした。そんな時見つけたのが家から徒歩3分のフラスタジオ。家からスタジオが近かったことがフラを始めるきっかけになりました。華やかな衣装を着たり、お花をつけて着飾ってお姫様みたいな気分で嬉しかったですね(笑)
最初は完全に趣味で始めたフラ。自分の中でフラに対する想いが変わったのは、小学校4年生の時にチームで初めて大会に出た時でした。初めての大会だったので練習量もわからず手探り状態で、結果負けてしまったんです。基本的に負けず嫌いな性格なので、それがとっても悔しかった
そこから練習に練習を重ね、先生に頼んで次の大会にも出させてもらいました。結果日本大会で優勝し、なんとハワイ大会ではローカル勢を抑え日本人グループ初優勝!その時は本当に涙が出るほど嬉しくて、自分の中でとても大きな自信に繋がり、フラに対するパッションにさらに火をつけました。
そこで、本格的にフラを勉強するため、高校を卒業後の2016年に意を決してハワイのコミュニティカレッジに留学をしました。
Q2. フラが趣味からパッションに変わり、ハワイ留学を決めたHinakoさん。家族や地元を離れて海外で生活することはとても勇気がいる決断だと思いますが、抵抗はありませんでしたか?
不安はありましたが、それ以上に挑戦したい気持ちが大きかったので抵抗はありませんでした。実際に行ってみると、ハワイには私が地元で培った全てのことが完璧な形で存在していると感じました。
趣味であるサーフィンやスケートボードが盛んなカルチャー、マーケットでのフィルムカメラとの出会いや、フラを通して学んだハワイの文化や、出会った素敵な人たちとのかけがえのない時間。振り返ってみると、ハワイで体験したことすべてが私の人生の中で大切な道標(みちしるべ)となりました。
Q3. 人生の道標、素敵な表現です!ハワイという異国での生活を通してたくさんの学びがあったと思いますが、印象に残っている出来事はありますか?
数え切れないほどの学びがありました。その中でもわたしがハワイに来た目的だった、フラを通して学んだことはやはり大きいです。
留学中、フラのオリンピックともいわれる最高峰の舞台「Merrie Monarch Festival」へ出場するという夢を叶え、「All Japan Hula Championships(全日本フラ選手権)」でチーム代表としてソロ部門に出場し、Miss Hula Japan 2018に選んでいただきました。2019年には2度目のMerrie Monarch Festivalへの出場で総合2位を受賞しました。
一見すると華やかに聞こえますが、そこに辿り着くまでの道のりは正直過酷でした。フラは出場すると決まったら、面接、踊りの練習から装飾の準備までかなりの時間と体力が必要なんです。
Q4. とても輝かしい実績ですが、その裏には血の滲むような努力もあったのだと察します。フラの大会出場までの道のりも教えてください!
実はフラの大会や選手権に出るのは自分の意思だけでは決められません。先生が一人一人の能力を見極めて、推薦してもらえて初めて出られるものなんです。オファーがもらえたら、あとは自分がそれに答えられるよう必死で努力するのみです。
まず、準備は面接から始まって古典フラと現代フラの2曲を踊ります。面接では、どうしてフラを始めたのかといった個人的なことから、今回の踊りで使う装飾はどの神様に捧げるためのものか、曲や歌詞の意味など、フラに対する知識や伝統のことまでしっかり理解しているか聞かれます。これは、フラに使う装飾「レイ」を編みながら答えていきます。
日本では自分でレイを用意することが難しいので基本的に用意してもらったものをそのまま身につけることが多いですが、ハワイでは自分で準備することが求められます。どこの森に何が生えているかをリサーチして、たくさん歩き回って探すので体力勝負な部分もあるし、動物も出るし虫も出るし正直過酷です(笑)ただ、それを自ら経験することで理解が深まりますし、この貴重な機会を大切にしようと思えます。
Q5. 大会に出場するまでには、踊りの練習以外にも、たくさんの準備過程があるんですね!ハワイの文化であるフラを日本人として完璧に表現する。その上で葛藤やプレッシャーもありましたか?
日本人だからこそ表現できるものもあると思っています。
ハワイの人たちにとってフラは身近で当たり前の存在で、大会やステージに出ることも珍しくはないですが、日本人は異文化を学んでいる立場。その分、ローカルの人よりも文化や伝統を勉強しないといけないし、学んだことは自分なりに表現しています。チャンスであって、当たり前ではないからこそ、フラの大会にかける思いが違います。
それこそ最初は趣味で始めたフラでしたが、大会の時は全てを犠牲にして、自分が持ってるできるだけの力を注ぎ込んで来ました。時間もお金もかかるのでもちろん葛藤もありました。でもそれ以上にフラを通して出逢った人や、経験、知識のおかげで人生がとっても豊かになったと感じています。
Q6. フラを通して得た経験や出逢いは本当にプライスレスですね。フラを踊る上で大切なこと、大変だったことはなんですか?
チームで大会に出場するときは、チームのみんなでいかに協力してベストなパフォーマンスができるかが大切です。
最初のうちは、チーム全員が振り付けとかフォーメーションを完璧に覚えてないこともあって、1日前に変わった内容を次の日には忘れてしまって先生に怒られてしまったり、そのせいで言い争いになってコミュニケーションがうまくいかなくて、ギクシャクしたこともありました。
「せっかくこのチャンスを掴んだのに、このままじゃいけない」そんな思いから色々考えて、教えられたことを完璧に覚えるためにチームの全員でノートにメモをとることを提案しました。
これが効果てきめんでした。ノートを見返して振り返れるから間違えることも少なくなったし、言い争いもなくなって雰囲気も変わったんです。そうやって一歩ずつチームとして努力して、団結して、同じ目標に向かって頑張れた。チームがやっと一つになれたんです。
そうやって挑戦することが楽しくなっていった時、コロナ禍で2年間フラと距離を置いていた時期がありました。大会が出場1ヶ月前にキャンセルされ不完全燃焼。さらに人前で踊る機会もなくて、帰国してもハワイに戻れない。この時期が実は一番自分の中で大変だった時期かもしれません。
Q7. コロナ禍で自分のパッションであるフラと遮断される日々は辛かったと思います。それはどう乗り越えましたか?
コロナ禍で行動や自由が制限されて、今まで当たり前だった多くの事が当たり前ではなかった事を痛感しました。同時に、叶えたい事はすぐに行動に移すこと、出来る時に出来る事をすること、常に自分で考えて行動しなければ成し遂げられないこともたくさんあると気づくことができました。
「またいつか、ハワイに戻ってまた大会に挑戦する。」それが自分の中での目標になっていました。そんな中、2年ぶりに大会を開催することを知りました。
2022年、まだ渡航制限があってワクチンを打って準備をしたりと海外渡航が今までのようにスムーズにいかない時期。2年間のブランクがあって不安もありましたし、大会に出るとなると、3ヶ月間はフラに集中しないといけない。就職も考えないといけない今のタイミングで本当にハワイに行くべきか、かなり迷いました。
けれど、わたしにとってフラとは、ライフスタイルの中心であり、パッション。
「やり残したことを今やるしかない、そうでなければ何が起こるかわからないこの世の中後悔する」そんな気持ちで、2020年の悔しかった思いを晴らすために、渡米を決意しました。
Q8. コロナ禍で見つけた新しい目標と気づき。今後フラを通して伝えたいことは?
実際にハワイに行って本場のフラを学んで感じたことは、日本で習うフラとの違い。必ずしも伝統的なやり方に忠実ではなく、オリジナルになってしまっているところもある。日本流にしてしまうのでらなく、ハワイの方に教えてもらったものをそのまま正しく伝えていきたいと思っています。
今年の1月に「The Stage」という映像を作って各地で流すという活動をしました。
2022年のフラの大会に出場した私の軌跡を追ったドキュメンタリー映画で、映像制作もやっているパートナーのDaiが作ってくれました。最初は意図していませんでしたが、私がフラと向き合う様子を見て、彼が本気で映像に残し伝えたくなったそうです。
完成した作品を見て、予想以上の反響でとても嬉しかったです。今まであまり表に出てこなかった本場の「フラ」についてとても勉強になったという声が聞けたり、上映会に来ていた子供達のキラキラの眼差し。「私もやってみたい!」「将来こうなりたい!」というポジティブな意見が聞けました。
2023年9月1日〜3日に、2作目となるThe Stage IIの上映をするので、私が経験したことをリアルに伝えていきたいと思っています。
上映情報はこちらからご覧ください。
Q9. パートナーのDaiさんとの馴れ初めや彼の活動について教えてください。
地元のお店で出会ったことがきっかけです。共通の友達を通じて会話がスタートし、カメラが好きなことや海外に住んだことがある、という共通の話題で盛り上がりました。
Daiは、高校生からオーストラリアに9年間住んでいて英語も流暢で、6つ歳が離れているので先輩として尊敬していました。そんなある日、Bueno Kidsという海外のコミュニティにインタビューしてもらったことがあるのですが、その際に自分の英語力だけだと不安だったので彼に英語を手伝ってもらいました。そのインタビューを通じて、私の人となりを知ってもらったんです。
彼は私のことやフラに興味が湧いて、自分のパッションである映像を活かしてフラを動画に撮りたい。私も私でフラを伝えていきたいという目標があって、気づいたら一緒に同じ方向を向いて歩んでいくパートナーとなっていました。
DAI WAKO
ワコウ ダイ
お住まい:神奈川県藤沢市
職 業:サーフィン、カメラ、旅
趣 味:プロサーファー/ドキュメンタリー制作者
好きな国:日本、オーストラリア、モロッコ、アイスランド
座右の銘:今を生きる
Q10. お互いがお互いの良さを引き出していける関係、とっても素敵です!今後はフラ以外の活動も予定されていますか?
ハワイ留学中に、何気なく立ち寄ったローカルマーケットでフィルムカメラに出会いました
これがきっかけで常にカメラを持ち歩くようになって、何気ない日常をシャッターに収めるのが楽しくていつの間にか写真は趣味からパッションへと変わっていきました。
留学を終えて日本に帰国したあとも、大好きな湘南を中心にいろんな場所やシチュエーションの写真を撮って、フォトブックを作ったり展示会を開いたりしています。
あとは旅も好きなので、旅を通じて得られる様々なインスピレーションやライフスタイルについても届けたいです。
Q11. どんなライフスタイルを発信していきたいですか?
旅とは、私にとってまさに「出逢い」
人、景色、体験を通して湧いてくるインスピレーションに目標、そして新しい自分。
もっと自分の目で、見て感じたい、感覚を研ぎ澄ましたい。
そんな想いもあって、今年も二人で旅に出ます。
夏には憧れだった北海道まで車で行き、ロードトリップ。秋にはヨーロッパも行きます。
色々な国を周りながら、その地の歴史やアートなどカルチャーを感じる旅がしたいと思っています。
Q12. ここからはHinakoさん、Daiさんお二人に質問です。Awwのアンバサダー就任おめでとうございます!どんな部分に共感していただきましたか?
Hinako:
Awwの「we are borderless(既存の枠に囚われない)」という理念に感銘を受けました。幼い頃からフラに没頭してきましたが今思うと部活や学校、お金や将来への不安に囚われず、いつでも自分の”好き”を大切に、心のままに選択してきました。Awwさんのコンセプトは私の生き方にマッチしていると思ったのでとても共感を得ました
Dai:
昂ぶる景色や経験に出会えた時のあの気持ち。自分の心に正直に、そしてそれをライフスタイルに落とし込みながら伝えていく。そんな活動を行っています。まさにその伝えたい部分や伝え方シンクロしていると感じステキなブランドだなと感じていました。
Q13. 最後に、お二人からメッセージをお願いします!
Hinako:
Awwさんと一緒に活動していくことによって広がるこれからの自分自身の表現や活動がとても楽しみです。旅を通して得る知識や新しい価値観を色んな形で皆様にシェア出来ていけたらなと思います。
Dai:
Awwさんと一緒に旅することの楽しさや大切さ、自分のライフスタイルを豊かにする術など、自分の経験から導き出しているフィロソフィーをお伝えすることが楽しみです!
Q1. Hinakoさんを語る上で欠かせないフラ。始めたきっかけを教えてください!
当時8歳、親が共働きのため習い事の送り迎えが出来ない状況でした。そんな時見つけたのが家から徒歩3分のフラスタジオ。家からスタジオが近かったことがフラを始めるきっかけになりました。華やかな衣装を着たり、お花をつけて着飾ってお姫様みたいな気分で嬉しかったですね(笑)
最初は完全に趣味で始めたフラ。自分の中でフラに対する想いが変わったのは、小学校4年生の時にチームで初めて大会に出た時でした。初めての大会だったので練習量もわからず手探り状態で、結果負けてしまったんです。基本的に負けず嫌いな性格なので、それがとっても悔しかった
そこから練習に練習を重ね、先生に頼んで次の大会にも出させてもらいました。結果日本大会で優勝し、なんとハワイ大会ではローカル勢を抑え日本人グループ初優勝!その時は本当に涙が出るほど嬉しくて、自分の中でとても大きな自信に繋がり、フラに対するパッションにさらに火をつけました。
そこで、本格的にフラを勉強するため、高校を卒業後の2016年に意を決してハワイのコミュニティカレッジに留学をしました。
Q2. フラが趣味からパッションに変わり、ハワイ留学を決めたHinakoさん。家族や地元を離れて海外で生活することはとても勇気がいる決断だと思いますが、抵抗はありませんでしたか?
不安はありましたが、それ以上に挑戦したい気持ちが大きかったので抵抗はありませんでした。実際に行ってみると、ハワイには私が地元で培った全てのことが完璧な形で存在していると感じました。
趣味であるサーフィンやスケートボードが盛んなカルチャー、マーケットでのフィルムカメラとの出会いや、フラを通して学んだハワイの文化や、出会った素敵な人たちとのかけがえのない時間。振り返ってみると、ハワイで体験したことすべてが私の人生の中で大切な道標(みちしるべ)となりました。
Q3. 人生の道標、素敵な表現です!ハワイという異国での生活を通してたくさんの学びがあったと思いますが、印象に残っている出来事はありますか?
数え切れないほどの学びがありました。その中でもわたしがハワイに来た目的だった、フラを通して学んだことはやはり大きいです。
留学中、フラのオリンピックともいわれる最高峰の舞台「Merrie Monarch Festival」へ出場するという夢を叶え、「All Japan Hula Championships(全日本フラ選手権)」でチーム代表としてソロ部門に出場し、Miss Hula Japan 2018に選んでいただきました。2019年には2度目のMerrie Monarch Festivalへの出場で総合2位を受賞しました。
一見すると華やかに聞こえますが、そこに辿り着くまでの道のりは正直過酷でした。フラは出場すると決まったら、面接、踊りの練習から装飾の準備までかなりの時間と体力が必要なんです。
Q4. とても輝かしい実績ですが、その裏には血の滲むような努力もあったのだと察します。フラの大会出場までの道のりも教えてください!
実はフラの大会や選手権に出るのは自分の意思だけでは決められません。先生が一人一人の能力を見極めて、推薦してもらえて初めて出られるものなんです。オファーがもらえたら、あとは自分がそれに答えられるよう必死で努力するのみです。
まず、準備は面接から始まって古典フラと現代フラの2曲を踊ります。面接では、どうしてフラを始めたのかといった個人的なことから、今回の踊りで使う装飾はどの神様に捧げるためのものか、曲や歌詞の意味など、フラに対する知識や伝統のことまでしっかり理解しているか聞かれます。これは、フラに使う装飾「レイ」を編みながら答えていきます。
日本では自分でレイを用意することが難しいので基本的に用意してもらったものをそのまま身につけることが多いですが、ハワイでは自分で準備することが求められます。どこの森に何が生えているかをリサーチして、たくさん歩き回って探すので体力勝負な部分もあるし、動物も出るし虫も出るし正直過酷です(笑)ただ、それを自ら経験することで理解が深まりますし、この貴重な機会を大切にしようと思えます。
Q5. 大会に出場するまでには、踊りの練習以外にも、たくさんの準備過程があるんですね!ハワイの文化であるフラを日本人として完璧に表現する。その上で葛藤やプレッシャーもありましたか?
日本人だからこそ表現できるものもあると思っています。
ハワイの人たちにとってフラは身近で当たり前の存在で、大会やステージに出ることも珍しくはないですが、日本人は異文化を学んでいる立場。その分、ローカルの人よりも文化や伝統を勉強しないといけないし、学んだことは自分なりに表現しています。チャンスであって、当たり前ではないからこそ、フラの大会にかける思いが違います。
それこそ最初は趣味で始めたフラでしたが、大会の時は全てを犠牲にして、自分が持ってるできるだけの力を注ぎ込んで来ました。時間もお金もかかるのでもちろん葛藤もありました。でもそれ以上にフラを通して出逢った人や、経験、知識のおかげで人生がとっても豊かになったと感じています。
Q6. フラを通して得た経験や出逢いは本当にプライスレスですね。フラを踊る上で大切なこと、大変だったことはなんですか?
チームで大会に出場するときは、チームのみんなでいかに協力してベストなパフォーマンスができるかが大切です。
最初のうちは、チーム全員が振り付けとかフォーメーションを完璧に覚えてないこともあって、1日前に変わった内容を次の日には忘れてしまって先生に怒られてしまったり、そのせいで言い争いになってコミュニケーションがうまくいかなくて、ギクシャクしたこともありました。
「せっかくこのチャンスを掴んだのに、このままじゃいけない」そんな思いから色々考えて、教えられたことを完璧に覚えるためにチームの全員でノートにメモをとることを提案しました。
これが効果てきめんでした。ノートを見返して振り返れるから間違えることも少なくなったし、言い争いもなくなって雰囲気も変わったんです。そうやって一歩ずつチームとして努力して、団結して、同じ目標に向かって頑張れた。チームがやっと一つになれたんです。
そうやって挑戦することが楽しくなっていった時、コロナ禍で2年間フラと距離を置いていた時期がありました。大会が出場1ヶ月前にキャンセルされ不完全燃焼。さらに人前で踊る機会もなくて、帰国してもハワイに戻れない。この時期が実は一番自分の中で大変だった時期かもしれません。
Q7. コロナ禍で自分のパッションであるフラと遮断される日々は辛かったと思います。それはどう乗り越えましたか?
コロナ禍で行動や自由が制限されて、今まで当たり前だった多くの事が当たり前ではなかった事を痛感しました。同時に、叶えたい事はすぐに行動に移すこと、出来る時に出来る事をすること、常に自分で考えて行動しなければ成し遂げられないこともたくさんあると気づくことができました。
「またいつか、ハワイに戻ってまた大会に挑戦する。」それが自分の中での目標になっていました。そんな中、2年ぶりに大会を開催することを知りました。
2022年、まだ渡航制限があってワクチンを打って準備をしたりと海外渡航が今までのようにスムーズにいかない時期。2年間のブランクがあって不安もありましたし、大会に出るとなると、3ヶ月間はフラに集中しないといけない。就職も考えないといけない今のタイミングで本当にハワイに行くべきか、かなり迷いました。
けれど、わたしにとってフラとは、ライフスタイルの中心であり、パッション。
「やり残したことを今やるしかない、そうでなければ何が起こるかわからないこの世の中後悔する」そんな気持ちで、2020年の悔しかった思いを晴らすために、渡米を決意しました。
Q8. コロナ禍で見つけた新しい目標と気づき。今後フラを通して伝えたいことは?
実際にハワイに行って本場のフラを学んで感じたことは、日本で習うフラとの違い。必ずしも伝統的なやり方に忠実ではなく、オリジナルになってしまっているところもある。日本流にしてしまうのでらなく、ハワイの方に教えてもらったものをそのまま正しく伝えていきたいと思っています。
今年の1月に「The Stage」という映像を作って各地で流すという活動をしました。
2022年のフラの大会に出場した私の軌跡を追ったドキュメンタリー映画で、映像制作もやっているパートナーのDaiが作ってくれました。最初は意図していませんでしたが、私がフラと向き合う様子を見て、彼が本気で映像に残し伝えたくなったそうです。
完成した作品を見て、予想以上の反響でとても嬉しかったです。今まであまり表に出てこなかった本場の「フラ」についてとても勉強になったという声が聞けたり、上映会に来ていた子供達のキラキラの眼差し。「私もやってみたい!」「将来こうなりたい!」というポジティブな意見が聞けました。
2023年9月1日〜3日に、2作目となるThe Stage IIの上映をするので、私が経験したことをリアルに伝えていきたいと思っています。
上映情報はこちらからご覧ください。
Q9. パートナーのDaiさんとの馴れ初めや彼の活動について教えてください。
地元のお店で出会ったことがきっかけです。共通の友達を通じて会話がスタートし、カメラが好きなことや海外に住んだことがある、という共通の話題で盛り上がりました。
Daiは、高校生からオーストラリアに9年間住んでいて英語も流暢で、6つ歳が離れているので先輩として尊敬していました。そんなある日、Bueno Kidsという海外のコミュニティにインタビューしてもらったことがあるのですが、その際に自分の英語力だけだと不安だったので彼に英語を手伝ってもらいました。そのインタビューを通じて、私の人となりを知ってもらったんです。
彼は私のことやフラに興味が湧いて、自分のパッションである映像を活かしてフラを動画に撮りたい。私も私でフラを伝えていきたいという目標があって、気づいたら一緒に同じ方向を向いて歩んでいくパートナーとなっていました。
Q10. お互いがお互いの良さを引き出していける関係、とっても素敵です!今後はフラ以外の活動も予定されていますか?
ハワイ留学中に、何気なく立ち寄ったローカルマーケットでフィルムカメラに出会いました
これがきっかけで常にカメラを持ち歩くようになって、何気ない日常をシャッターに収めるのが楽しくていつの間にか写真は趣味からパッションへと変わっていきました。
留学を終えて日本に帰国したあとも、大好きな湘南を中心にいろんな場所やシチュエーションの写真を撮って、フォトブックを作ったり展示会を開いたりしています。
あとは旅も好きなので、旅を通じて得られる様々なインスピレーションやライフスタイルについても届けたいです。
Q11. どんなライフスタイルを発信していきたいですか?
旅とは、私にとってまさに「出逢い」
人、景色、体験を通して湧いてくるインスピレーションに目標、そして新しい自分。
もっと自分の目で、見て感じたい、感覚を研ぎ澄ましたい。
そんな想いもあって、今年も二人で旅に出ます。
夏には憧れだった北海道まで車で行き、ロードトリップ。秋にはヨーロッパも行きます。
色々な国を周りながら、その地の歴史やアートなどカルチャーを感じる旅がしたいと思っています。
Q12. ここからはHinakoさん、Daiさんお二人に質問です。Awwのアンバサダー就任おめでとうございます!どんな部分に共感していただきましたか?
Hinako:
Awwの「we are borderless(既存の枠に囚われない)」という理念に感銘を受けました。幼い頃からフラに没頭してきましたが今思うと部活や学校、お金や将来への不安に囚われず、いつでも自分の”好き”を大切に、心のままに選択してきました。Awwさんのコンセプトは私の生き方にマッチしていると思ったのでとても共感を得ました
Dai:
昂ぶる景色や経験に出会えた時のあの気持ち。自分の心に正直に、そしてそれをライフスタイルに落とし込みながら伝えていく。そんな活動を行っています。まさにその伝えたい部分や伝え方シンクロしていると感じステキなブランドだなと感じていました。
Q13. 最後に、お二人からメッセージをお願いします!
Hinako:
Awwさんと一緒に活動していくことによって広がるこれからの自分自身の表現や活動がとても楽しみです。旅を通して得る知識や新しい価値観を色んな形で皆様にシェア出来ていけたらなと思います。
Dai:
Awwさんと一緒に旅することの楽しさや大切さ、自分のライフスタイルを豊かにする術など、自分の経験から導き出しているフィロソフィーをお伝えすることが楽しみです!
Q1. Hinakoさんを語る上で欠かせないフラ。始めたきっかけを教えてください!
当時8歳、親が共働きのため習い事の送り迎えが出来ない状況でした。そんな時見つけたのが家から徒歩3分のフラスタジオ。家からスタジオが近かったことがフラを始めるきっかけになりました。華やかな衣装を着たり、お花をつけて着飾ってお姫様みたいな気分で嬉しかったですね(笑)
最初は完全に趣味で始めたフラ。自分の中でフラに対する想いが変わったのは、小学校4年生の時にチームで初めて大会に出た時でした。初めての大会だったので練習量もわからず手探り状態で、結果負けてしまったんです。基本的に負けず嫌いな性格なので、それがとっても悔しかった
そこから練習に練習を重ね、先生に頼んで次の大会にも出させてもらいました。結果日本大会で優勝し、なんとハワイ大会ではローカル勢を抑え日本人グループ初優勝!その時は本当に涙が出るほど嬉しくて、自分の中でとても大きな自信に繋がり、フラに対するパッションにさらに火をつけました。
そこで、本格的にフラを勉強するため、高校を卒業後の2016年に意を決してハワイのコミュニティカレッジに留学をしました。
Q2. フラが趣味からパッションに変わり、ハワイ留学を決めたHinakoさん。家族や地元を離れて海外で生活することはとても勇気がいる決断だと思いますが、抵抗はありませんでしたか?
不安はありましたが、それ以上に挑戦したい気持ちが大きかったので抵抗はありませんでした。実際に行ってみると、ハワイには私が地元で培った全てのことが完璧な形で存在していると感じました。
趣味であるサーフィンやスケートボードが盛んなカルチャー、マーケットでのフィルムカメラとの出会いや、フラを通して学んだハワイの文化や、出会った素敵な人たちとのかけがえのない時間。振り返ってみると、ハワイで体験したことすべてが私の人生の中で大切な道標(みちしるべ)となりました。
Q3. 人生の道標、素敵な表現です!ハワイという異国での生活を通してたくさんの学びがあったと思いますが、印象に残っている出来事はありますか?
数え切れないほどの学びがありました。その中でもわたしがハワイに来た目的だった、フラを通して学んだことはやはり大きいです。
留学中、フラのオリンピックともいわれる最高峰の舞台「Merrie Monarch Festival」へ出場するという夢を叶え、「All Japan Hula Championships(全日本フラ選手権)」でチーム代表としてソロ部門に出場し、Miss Hula Japan 2018に選んでいただきました。2019年には2度目のMerrie Monarch Festivalへの出場で総合2位を受賞しました。
一見すると華やかに聞こえますが、そこに辿り着くまでの道のりは正直過酷でした。フラは出場すると決まったら、面接、踊りの練習から装飾の準備までかなりの時間と体力が必要なんです。
Q4. とても輝かしい実績ですが、その裏には血の滲むような努力もあったのだと察します。フラの大会出場までの道のりも教えてください!
実はフラの大会や選手権に出るのは自分の意思だけでは決められません。先生が一人一人の能力を見極めて、推薦してもらえて初めて出られるものなんです。オファーがもらえたら、あとは自分がそれに答えられるよう必死で努力するのみです。
まず、準備は面接から始まって古典フラと現代フラの2曲を踊ります。面接では、どうしてフラを始めたのかといった個人的なことから、今回の踊りで使う装飾はどの神様に捧げるためのものか、曲や歌詞の意味など、フラに対する知識や伝統のことまでしっかり理解しているか聞かれます。これは、フラに使う装飾「レイ」を編みながら答えていきます。
日本では自分でレイを用意することが難しいので基本的に用意してもらったものをそのまま身につけることが多いですが、ハワイでは自分で準備することが求められます。どこの森に何が生えているかをリサーチして、たくさん歩き回って探すので体力勝負な部分もあるし、動物も出るし虫も出るし正直過酷です(笑)ただ、それを自ら経験することで理解が深まりますし、この貴重な機会を大切にしようと思えます。
Q5. 大会に出場するまでには、踊りの練習以外にも、たくさんの準備過程があるんですね!ハワイの文化であるフラを日本人として完璧に表現する。その上で葛藤やプレッシャーもありましたか?
日本人だからこそ表現できるものもあると思っています。
ハワイの人たちにとってフラは身近で当たり前の存在で、大会やステージに出ることも珍しくはないですが、日本人は異文化を学んでいる立場。その分、ローカルの人よりも文化や伝統を勉強しないといけないし、学んだことは自分なりに表現しています。チャンスであって、当たり前ではないからこそ、フラの大会にかける思いが違います。
それこそ最初は趣味で始めたフラでしたが、大会の時は全てを犠牲にして、自分が持ってるできるだけの力を注ぎ込んで来ました。時間もお金もかかるのでもちろん葛藤もありました。でもそれ以上にフラを通して出逢った人や、経験、知識のおかげで人生がとっても豊かになったと感じています。
Q6. フラを通して得た経験や出逢いは本当にプライスレスですね。フラを踊る上で大切なこと、大変だったことはなんですか?
チームで大会に出場するときは、チームのみんなでいかに協力してベストなパフォーマンスができるかが大切です。
最初のうちは、チーム全員が振り付けとかフォーメーションを完璧に覚えてないこともあって、1日前に変わった内容を次の日には忘れてしまって先生に怒られてしまったり、そのせいで言い争いになってコミュニケーションがうまくいかなくて、ギクシャクしたこともありました。
「せっかくこのチャンスを掴んだのに、このままじゃいけない」そんな思いから色々考えて、教えられたことを完璧に覚えるためにチームの全員でノートにメモをとることを提案しました。
これが効果てきめんでした。ノートを見返して振り返れるから間違えることも少なくなったし、言い争いもなくなって雰囲気も変わったんです。そうやって一歩ずつチームとして努力して、団結して、同じ目標に向かって頑張れた。チームがやっと一つになれたんです。
そうやって挑戦することが楽しくなっていった時、コロナ禍で2年間フラと距離を置いていた時期がありました。大会が出場1ヶ月前にキャンセルされ不完全燃焼。さらに人前で踊る機会もなくて、帰国してもハワイに戻れない。この時期が実は一番自分の中で大変だった時期かもしれません。
Q7. コロナ禍で自分のパッションであるフラと遮断される日々は辛かったと思います。それはどう乗り越えましたか?
コロナ禍で行動や自由が制限されて、今まで当たり前だった多くの事が当たり前ではなかった事を痛感しました。同時に、叶えたい事はすぐに行動に移すこと、出来る時に出来る事をすること、常に自分で考えて行動しなければ成し遂げられないこともたくさんあると気づくことができました。
「またいつか、ハワイに戻ってまた大会に挑戦する。」それが自分の中での目標になっていました。そんな中、2年ぶりに大会を開催することを知りました。
2022年、まだ渡航制限があってワクチンを打って準備をしたりと海外渡航が今までのようにスムーズにいかない時期。2年間のブランクがあって不安もありましたし、大会に出るとなると、3ヶ月間はフラに集中しないといけない。就職も考えないといけない今のタイミングで本当にハワイに行くべきか、かなり迷いました。
けれど、わたしにとってフラとは、ライフスタイルの中心であり、パッション。
「やり残したことを今やるしかない、そうでなければ何が起こるかわからないこの世の中後悔する」そんな気持ちで、2020年の悔しかった思いを晴らすために、渡米を決意しました。
Q8. コロナ禍で見つけた新しい目標と気づき。今後フラを通して伝えたいことは?
実際にハワイに行って本場のフラを学んで感じたことは、日本で習うフラとの違い。必ずしも伝統的なやり方に忠実ではなく、オリジナルになってしまっているところもある。日本流にしてしまうのでらなく、ハワイの方に教えてもらったものをそのまま正しく伝えていきたいと思っています。
今年の1月に「The Stage」という映像を作って各地で流すという活動をしました。
2022年のフラの大会に出場した私の軌跡を追ったドキュメンタリー映画で、映像制作もやっているパートナーのDaiが作ってくれました。最初は意図していませんでしたが、私がフラと向き合う様子を見て、彼が本気で映像に残し伝えたくなったそうです。
完成した作品を見て、予想以上の反響でとても嬉しかったです。今まであまり表に出てこなかった本場の「フラ」についてとても勉強になったという声が聞けたり、上映会に来ていた子供達のキラキラの眼差し。「私もやってみたい!」「将来こうなりたい!」というポジティブな意見が聞けました。
今年の夏、公開の予定の2作目を通して私が経験したことをリアルに伝えていきたいと思っています。
Q9. パートナーのDaiさんとの馴れ初めや彼の活動について教えてください。
地元のお店で出会ったことがきっかけです。共通の友達を通じて会話がスタートし、カメラが好きなことや海外に住んだことがある、という共通の話題で盛り上がりました。
Daiは、高校生からオーストラリアに9年間住んでいて英語も流暢で、6つ歳が離れているので先輩として尊敬していました。そんなある日、Bueno Kidsという海外のコミュニティにインタビューしてもらったことがあるのですが、その際に自分の英語力だけだと不安だったので彼に英語を手伝ってもらいました。そのインタビューを通じて、私の人となりを知ってもらったんです。
彼は私のことやフラに興味が湧いて、自分のパッションである映像を活かしてフラを動画に撮りたい。私も私でフラを伝えていきたいという目標があって、気づいたら一緒に同じ方向を向いて歩んでいくパートナーとなっていました。
Q10. お互いがお互いの良さを引き出していける関係、とっても素敵です!今後はフラ以外の活動も予定されていますか?
ハワイ留学中に、何気なく立ち寄ったローカルマーケットでフィルムカメラに出会いました
これがきっかけで常にカメラを持ち歩くようになって、何気ない日常をシャッターに収めるのが楽しくていつの間にか写真は趣味からパッションへと変わっていきました。
留学を終えて日本に帰国したあとも、大好きな湘南を中心にいろんな場所やシチュエーションの写真を撮って、フォトブックを作ったり展示会を開いたりしています。
あとは旅も好きなので、旅を通じて得られる様々なインスピレーションやライフスタイルについても届けたいです。
Q11. どんなライフスタイルを発信していきたいですか?
旅とは、私にとってまさに「出逢い」
人、景色、体験を通して湧いてくるインスピレーションに目標、そして新しい自分。
もっと自分の目で、見て感じたい、感覚を研ぎ澄ましたい。
そんな想いもあって、今年も二人で旅に出ます。
夏には憧れだった北海道でバンを借りてロードトリップ。秋にはヨーロッパも行きます。
色々な国を周りながら、その地の歴史やアートなどカルチャーを感じる旅がしたいと思っています。
Q12. ここからはHinakoさん、Daiさんお二人に質問です。Awwのアンバサダー就任おめでとうございます!どんな部分に共感していただきましたか?
Hinako:
Awwの「we are borderless(既存の枠に囚われない)」という理念に感銘を受けました。幼い頃からフラに没頭してきましたが今思うと部活や学校、お金や将来への不安に囚われず、いつでも自分の”好き”を大切に、心のままに選択してきました。Awwさんのコンセプトは私の生き方にマッチしていると思ったのでとても共感を得ました
Dai:
昂ぶる景色や経験に出会えた時のあの気持ち。自分の心に正直に、そしてそれをライフスタイルに落とし込みながら伝えていく。そんな活動を行っています。まさにその伝えたい部分や伝え方シンクロしていると感じステキなブランドだなと感じていました。
Q13. 最後に、お二人からメッセージをお願いします!
Hinako:
Awwさんと一緒に活動していくことによって広がるこれからの自分自身の表現や活動がとても楽しみです。旅を通して得る知識や新しい価値観を色んな形で皆様にシェア出来ていけたらなと思います。
Dai:
Awwさんと一緒に旅することの楽しさや大切さ、自分のライフスタイルを豊かにする術など、自分の経験から導き出しているフィロソフィーをお伝えすることが楽しみです!
DAI WAKO
ワコウ ダイ
お住まい:神奈川県藤沢市
職 業:サーフィン、カメラ、旅
趣 味:プロサーファー/ドキュメンタリー制作者
好きな国:日本、オーストラリア、モロッコ、アイスランド
座右の銘:今を生きる
DAI WAKO
ワコウ ダイ
お住まい:神奈川県藤沢市
職 業:サーフィン、カメラ、旅
趣 味:プロサーファー/ドキュメンタリー制作者
好きな国:日本、オーストラリア、モロッコ、アイスランド
座右の銘:今を生きる
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