【WE ARE BORDERLESS】SOESBE

- 境界線を持たないライフスタイルを選択したわたしたちの生き方 -

人生に境界線はない

時代の移り変わりと共に
新しい働き方が模索され
ライフスタイルの選択肢が増え
多様な価値観が受け入れらようになったいま

既存の枠に囚われない
ひとりひとりが自分らしくいられる
柔軟なライフスタイルが少しずつ注目されている

この連載はそんなライフスタイルを送る方たちにフォーカスし、インタビューを通して見えてくる新しい価値観、
その出会いとストーリーを解き明かす

SOESBE CAMERON
ソーズビー・キャメロン

お住まい日本, 東京

職 業美術大学生/タレント/クリエイター

趣 味海外ドラマ鑑賞、茶しばき

好きな食べ物アイスクリーム

座右の銘
Work Hard and Be Nice to people

- 境界線を持たないライフスタイルを選択したわたしたちの生き方 -

人生に境界線はない

時代の移り変わりと共に
新しい働き方が模索され
ライフスタイルの選択肢が増え
多様な価値観が受け入れらようになったいま

既存の枠に囚われない
ひとりひとりが自分らしくいられる
柔軟なライフスタイルが少しずつ注目されている

この連載はそんなライフスタイルを送る方たちにフォーカスし、
インタビューを通して見えてくる新しい価値観、
その出会いとストーリーを解き明かす

- 境界線を持たないライフスタイルを選択したわたしたちの生き方 -

人生に境界線はない

時代の移り変わりと共に
新しい働き方が模索され
ライフスタイルの選択肢が増え
多様な価値観が受け入れらようになったいま

既存の枠に囚われない
ひとりひとりが自分らしくいられる
柔軟なライフスタイルが少しずつ注目されている

この連載はそんなライフスタイルを送る方たちにフォーカスし、
インタビューを通して見えてくる新しい価値観、
その出会いとストーリーを解き明かす

SOESBE CAMERON 
ソーズビー・キャメロン

お住まい:日本, 東京

職 業:美術大学生/タレント/クリエイター

趣 味:海外ドラマ鑑賞、茶しばき

好きな食べ物:アイスクリーム

座右の銘:
Work Hard and Be Nice to people

SOESBE  ソーズビー・キャメロン

お住まい:日本, 東京

職 業:美術大学生/タレント/クリエイター

趣 味:海外ドラマ鑑、茶しばき

好きな食べ物:アイスクリーム

座右の銘:
Work Hard and Be Nice to people

第7回目は、ソーズビー・キャメロンさんにインタビュー。
アメリカ留学やバレエとの出会いを経て発見した新しい自分や目標、
理想のライフスタイルとは?

第7回目は、美大生とタレント業の2足のわらじを履いて活躍する
ソーズビー・キャメロンさんにインタビュー。
アメリカ留学やバレエとの出会いを経て発見した新しい自分や目標、
理想のライフスタイルとは?

Q1

小さい頃から芸能界で活躍し、渡米して劇場で仕事をしたり、
帰国後も大学に行きながらバレエやアートを学ぶなどとても面白い経歴の持ち主ですが、芸能界デビューのきっかけは?

アメリカのポートランド生まれのソーズビーです。レディーガガや安室ちゃんに憧れて、ヒップホップのダンスレッスンに通いはじめたことがきっかけです。

ハーフのダンスキッズは案件が多く、MVやCMなどのオーディション情報が沢山来る様になって、一番最初に受けたオーディションがランドセルのCMで合格しました。

でも家族旅行と被ってたので出演を断ってしまったんです。しばらくしてテレビを見ていたら自分が出るはずの役はベッキーさんとの共演だったことを知り、超ジェラス。

そこからオーディションに本気で取り組み、何十件も落ちて... 1年半かけてようやく受かったのがマクドナルドのハッピーセットでした。本番でスポットライトを浴びた時に「これだ!」ってビビッと来ました。母も、「ダンスは1番下手だけど、過去1番にいい顔してる」と思ってくれたみたいです。

Q2

それから「ピラメキーノ」や「天才てれびくん」など数々の番組に出演してきましたが、芸能界でのお仕事はソーズビーさんにとってどんな経験になりましたか?

とても色んな気づきがありました。今はよく自虐的に「元クソ子役です」とか言いますが(笑)実際は、自分らしくいられるお仕事に恵まれたと思います。

ハーフでおばさんみたいな喋りをする子どもだったので、学校ではよくイジられていたんですが、仕事先の大人には「just be yourself」と言われていたので、比較的何も考えずにのびのびと好き勝手させてもらっていました。当時の僕にとっては必要な環境でした。

その一方で、芸能界は人気商売。日本で言うところの「人気」はいかようにも強引に作り出すことができて、そのシステムや業界の美学には全く妥協ができないと思うこともありました。

高校時代に縁があり、民放局の生放送の現場を毎週見学していて、学生ながらに「テレビの世界って大人の都合で回ってるんだな」って感じたこともありました。あとは、仕事だから割り切って取り組むことは仕方がないとも思うけど、場に求められる発言をするために嘘をついたり、投げやりになっていた人もいました。

でも、「人に笑いやエネルギーを届ける人が死んだ目しててどうするの」って。ポジションが欲しくてももらえないことも多かった自分からすると、「そのチャンスを掴んだ人が最大限にできることをしないでどうするんだ」っていうモヤモヤがありました。

Q3

「人に笑いやエネルギーを届ける人が死んだ目をしてる」
ドキッとさせられますね。妥協できない部分を踏まえた上でソーズビーさんは今後どうしていきたいですか?

「ソーズビーほど真面目にテレビを見る人っていないよ(笑)」って周りに言われるくらい、昔からテレビを見ることも出ることにも真剣なんです。

いつか母が見せてくれた昭和のテレビ番組は衝撃でした。
電波少年、志村けんのコント、妖怪人間など「そんなことやっていいの!?」って危険な香りがする番組とか、見ていてヒヤヒヤするようなものやグロテスクな描写。

お互いに食ってかかるような雰囲気や、言ってはいけないことをどれだけお笑いでカバーするかという面白さがあるように感じました。それをできなくさせる視聴者も好きではないし、できなくなるテレビも好きではないと思っています。

アメリカのテレビを見ていると、できないことも多くなってきてる中でどれだけ戦うかっていう挑戦をしていると感じます。でも日本では、そもそも「仕掛ける」ことをしなくなってしまったように感じています。事なかれ主義というか

それでも、テレビ出演は信頼できる大人達や尊敬する人たちにも出会えたかけがえのない経験です。時代に合わせないといけないのもわかっているし、今のやり方にもリスペクトをしつつ、僕は僕のできる範囲で表現の幅を広げて行きたいなって思っています。

Q4

現在は美大に通いながらバレエの研究をされているそうですが、バレエとの出会いを教えてください!

僕が高校生の時、テレビ局のプロデューサーに「お前の話はつまらないから売れない間にエピソードを作ってこい」といわれて、ネタ探しを始めました(笑)それで始めたのがバレエです。

痩せたい、体柔らかくなりたい、音楽学びたい、だけど楽器は壊してしまうかもしれない(笑)男友達が欲しい、でも学校の男はみんな合わない、芸術のわかる男と友達になりたくて、フィギュアスケートに挑戦したいと思った時期もありましたが、なんにせよレッスン代が高すぎる(涙)

色々な葛藤があって試行錯誤した結果、学校の近くにバレエ学校を発見したんです。ボーイズクラスがあって、生ピアノでレッスン受けられて、西洋的な建築。ぜんぶドンピシャに気に入って即申し込みました。

Q5

ネタ探しで始めたバレエですが、はじめた時と今の印象は?

始めた当初はあまりにも自分の範囲外のことすぎて、ずっころんだとしても、怒られたとしても全てネタだと思って笑っていました。逆に褒められたら「ラッキー!」みたいな(笑)

でも、レッスンを通じてプロのダンサーさんたちを見ていくうちに、求められるレベルの高さとその美的感覚に衝撃を受けました。

幸運にもバレエ団のエキストラとして呼ばれ参加した際に、何十人も一緒になって踊る「バックダンサー」でもこんなに踊りが上手いの!?ってびっくりしたんです。後になって、バレエにバックダンサーはいなくて一人一人に役があることを知りました。

バレエは誰もが主人公になれる技量を持っているのに、一人一人が与えられた役を全うするために、毎日何時間も練習する。これが、プロの集団なんだなって思いました。

芸能界には雑魚でもスターになれるかもしれないという夢がある。素晴らしく良くも悪くも。
だけど、「立てないダンサー」なんてバレエの世界ではありえないんだなと思ったんです。

バレエって美しい、もっと知りたい、このコミュニティーを見ていたい。その思いが強くなってどんどんのめり込んでいきました。

Q6

「立てないダンサーなんていない」この表現からプロ意識の高さが伝わってきてゾクゾクしました!バレエを通して学んだことは?

時間と忍耐が必要なこと、自分のキャパシティーを知ることです。

無理に自分の技量に合わないことをしてしまうと転んで怪我をしてしまいます。まずは自分の技量にあった努力を毎日積み重ねていくことが大切なんだと学びました。

バレエをはじめてからテレビに対する考え方も変わりました。フェイクだって文句を言うよりも、目の前の仕事にひとつずつ真摯に向き合い、バレエでいうところの「役」に必要な経験を一歩一歩着実に積むことが大切だなと。身の丈にあった仕事をして地に足をつけながら、客観的に自分のキャパを知ること。

きっかけは不純でしたが、バレエを通して今までになかった新しい自分や目標に出会えて、とても学びや気づきが多いと感じています。

Q7

バレエを通して新しい自分を発見できたんですね!目標についても聞かせてください!

僕がアメリカに行った理由でもあり、大学に行った理由でもあるのですが、長期的な目標としてクラシックバレエの映画を作りたいと思っています。

「ド古典」な作品を映像にしたいんです。

実は今あるバレエの舞台って元々のお話から少しずつ書き換えられていて、役にも多様性を盛り込んだり過激なシナリオを万人受けするようにアレンジしたり。

本来バレエの舞台は、ミニマムなセットと衣装で、演技や表現という存在感で見せるものだと聞いたことがあります。

今は衣装や舞台装飾を変えることで観客にとっては「見るべき人」「見るべき場所」がわかりやすくなっています。それはそれでいいとは思いますが、文化を継承していくにはお客さんの目を養って育てることも必要だと自分自身も含めて感じています。

関係者にとっても見る人にとっても発見になるようなバレエの映画を作りたい。

きっかけになったのは17才の時に見た、古代インドを舞台にしたバレエ「ラ・バヤデール」でした。結構過激な三角関係のお話で、一人の男性を狙って二人の女性が殺し合おうとするシーンまである作品。4幕中2幕目でヒロインがみんなの前で殺されちゃったり、王がアヘンを吸って舞台が突如彼の幻覚の世界になったり、「古典バレエって、こんなに面白いの!?」って衝撃的でした。

17歳からバレエを始めた自分はプロのバレエダンサーにはなれないかもしれないけど、芸能界やバレエの経験を活かして何かをやりたい。それが古典バレエのコンテンツ提供じゃないかなと思いました。

これにはたくさんの人の協力が必要ですし、もっともっと歴史や民族についての勉強しないといけない。それでまず英語や映像の勉強をしたくてアメリカへ留学したんです。

Q8

 アメリカ留学という大きな決断、不安はありましたか?

全くありませんでした。

むしろ、どこかでずっと日本に馴染めないと感じていた自分がいて、日本から出たい、アメリカに答えがあるんじゃないかって思っていました。小さい頃はアメリカの家族を訪れる度に、日本に帰りたくないって号泣してました(笑)

結局その頃は仕事もあって長期で住むのは難しかったですが、高校卒業後は事務所も辞められて自由に動けるようになりましたし、今がチャンス!逃したら一生後悔するかもしれないと思って決意しました。

Q9

 ソーズビーさんにとって、待ちに待った留学だったんですね!久しぶりの故郷に住んでみて、日本とのギャップは感じましたか?

HOME、シンプルにそう思いました。オレゴン州ポートランドはカルチャーも人もご飯も自然も大好き。いつでも戻りたいし、この病院で死にたいと思うところも見つけました。
しかし東京で育ってしまった手前、街のテンポがあまりに遅くて生活はできないと思いました。

そこで当初の計画通りロサンゼルスに移動しましたが、人の遅さは変わらなかったですね。周りにそれを話すと「君はファッションも話し方も歩き方も完全にニューヨークの人間だよ。出て行け」と言われました(笑)

Q10

出て行けと言われたのは最高の褒め言葉だったと察します(笑)映像の勉強はいかがでしたか?

思ったようにうまく行かないことも多くて、全米で旅公演をするブロードウェイを毎月迎える劇場で、まずは劇場案内人としてアルバイトをして食い繋ぎました(笑)毎日仕事中に生でミュージカルが見られる過去最高のバイトでしたが、同時にアメリカとアートに対する価値観もガラリと変わりました。

アメリカのオーディエンスにがっかりしたんです。
役者が音を外しても、中途半端なダンスを見せても、ヒューヒュー言って拍手喝采。これでは役者たちの仕事はDVDを流してるのと変わらない。

劇場としてもブロードウェイ・プロダクションとしても、観客からの批評を得られないのこの現実を目の当たりにして、ブロードウェイやハリウッドが低迷するのも当然だなと感じてしまいました。

この国で、少なくともハリウッドではアートは学べない。特に自分がやりたいクラシック・バレエの実験的なことは参考にならないと思いました。

Q11

アメリカといえば自由で様々なバックグラウンドの方も多くて、豊かな文化を持つ国だと思っていました!多様性についてはいかがでしょうか?

アメリカ留学きて最初に降り立ったHOMEのオレゴン州ポートランドは「多様性」や「サステナブル」の走りの様な街です。住みたい街ランキングにも数年間一位になりました。ですが、僕がいた時には移住する人が急激に増えたことで、自慢だった交通網はしょっちゅう渋滞、バスや電車も治安が悪化しました。

さらに、ホームレスを「キャンパー」と呼び受け入れ政策を始めてしまったら歯止めが効かなくなり、全米からは片道切符でバスにキャンパー達が送り込まれたそうです。ホームレス同士の殺人も多発していました。

僕の原風景である大好きなおじいちゃん家のエリアも危険なエリアに変わりました。

家族の行きつけで思い出だったマズい中国料理屋「Happy Garden」はマリファナ屋さんになりました。まあ、ある意味「Happy Garden」でした(笑)

パンデミック中にはさらに悪化していて、道路は人糞と注射器だらけになってしまいました。

「多様性」とは果たして正義なのか?非常に考えさせられる事実でした。

Q12

「多様性は正義なのか」考えさせられる問いですね。良い面も悪い面もあると思いますが、ボーダーレスな世界を実現するためにはどんなことが必要だと思いますか?

今はSNSで誰もが発信できる時代。自分の意見を言える環境はいいけれど、「多様性」という言葉に囚われすぎて、当事者以外の口先だけの議論ばかりになってしまっていないか。もう一度本来の意味に立ち返らないといけないと思いました。

多様性という言葉は「分断」でもあると聞いたことがあります。
LGBTQ+みたいにカテゴライズするのは分かりやすいですが、本当に必要でしょうか。カテゴライズすることで逆に幅を狭めてしまうのではないかと思います。

そういった「ラベル」や「カテゴリー」に囚われず、お互いの違いを尊重することに尽きると思います。

Q13

お互いの違いを尊重すること。私も同感です!理想のライフスタイルはありますか?

世界各国を転々としながら暮らすことです。
実は空港が大好きで、いつもドレスアップしていきます。
とは言ってもスーツを着たりするわけではなくて、快適さの中におしゃれを追求する感じです。

広々とした空間に綺麗な建築。
最近気が付いたんですが、空港の異文化が混ざりあう、“違う”が当たり前の空間が、
日本で麻痺するほどマイノリティやってる私に実はかなり心地がよくて。
知らない世界に触れられるこの環境はとてもワクワクします。

昔は飛行機もスーツアップして乗っていたし、劇場でも技術や作品に対してドレスアップすることで敬意を表していますよね。

私には、はてしない尊敬と期待と出会いが空港にはあります。
だからドレスアップして空港に行きます(笑)

Q14

想像しただけでワクワクしてきました!私もドレスアップして空港に出かけたくなりました。改めてこれからのソーズビーさんの目標や挑戦したいことを教えてください!

現在、美術大学の仲間と一緒に移動可能でミニマムな劇場を作っています。
ポートランドでも流行っていたTiny Houseにちなんで、『TinyTheather』と名づけました。

「見に来てもらう舞台」ではなくて「見せに行く舞台」。

この夏、TinyTheater 第1号で『Park Ballet~公園で公演~』を企画しています。これまでの美大やバレエ、芸能界での学びを総括したものを、学生ノリで楽しく挑戦し、バレエ研究の今までとこれからに役立てようと企んでおります。

まずはバレエを知らない人にもバレエを知ってもらいたい。

バレエをちゃんと見ようとすると長いんですが、僕たちがやるバレエは、通りすがりの誰もがわかりやすいように切り抜きをしようと思っています。

観る者を限定しない公演がしたいと思っています。

第7回目は、美大生とタレントの2足のわらじを履いて活躍するソーズビー・キャメロンさんにインタビュー。
アメリカ留学やバレエとの出会いを経て発見した新しい自分や目標、理想のライフスタイルとは?

Q1

小さい頃から芸能界で活躍し、渡米して劇場で仕事をしたり、帰国後も大学に行きながらバレエやアートを学ぶなどとても面白い経歴の持ち主ですが、芸能界デビューのきっかけは?

アメリカのポートランド生まれのソーズビーです。レディーガガや安室ちゃんに憧れて、ヒップホップのダンスレッスンに通いはじめたことがきっかけです。

ハーフのダンスキッズは案件が多く、MVやCMなどのオーディション情報が沢山来る様になって、一番最初に受けたオーディションがランドセルのCMで合格しました。

でも家族旅行と被ってたので出演を断ってしまったんです。しばらくしてテレビを見ていたら自分が出るはずの役はベッキーさんとの共演だったことを知り、超ジェラス。

そこからオーディションに本気で取り組み、何十件も落ちて... 1年半かけてようやく受かったのがマクドナルドのハッピーセットでした。本番でスポットライトを浴びた時に「これだ!」ってビビッと来ました。母も、「ダンスは1番下手だけど、過去1番にいい顔してる」と思ってくれたみたいです。

Q2

それから「ピラメキーノ」や「天才てれびくん」など数々の番組に出演してきましたが、芸能界でのお仕事はソーズビーさんにとってどんな経験になりましたか?

とても色んな気づきがありました。今はよく自虐的に「元クソ子役です」とか言いますが(笑)実際は、自分らしくいられるお仕事に恵まれたと思います。

ハーフでおばさんみたいな喋りをする子どもだったので、学校ではよくイジられていたんですが、仕事先の大人には「just be yourself」と言われていたので、比較的何も考えずにのびのびと好き勝手させてもらっていました。当時の僕にとっては必要な環境でした。

その一方で、芸能界は人気商売。日本で言うところの「人気」はいかようにも強引に作り出すことができて、そのシステムや業界の美学には全く妥協ができないと思うこともありました。

高校時代に縁があり、民放局の生放送の現場を毎週見学していて、学生ながらに「テレビの世界って大人の都合で回ってるんだな」って感じたこともありました。あとは、仕事だから割り切って取り組むことは仕方がないとも思うけど、場に求められる発言をするために嘘をついたり、投げやりになっていた人もいました。

でも、「人に笑いやエネルギーを届ける人が死んだ目しててどうするの」って。ポジションが欲しくてももらえないことも多かった自分からすると、「そのチャンスを掴んだ人が最大限にできることをしないでどうするんだ」っていうモヤモヤがありました。

Q3

「人に笑いやエネルギーを届ける人が死んだ目をしてる」
ドキッとさせられますね。妥協できない部分を踏まえた上でソーズビーさんは今後どうしていきたいですか?

「ソーズビーほど真面目にテレビを見る人っていないよ(笑)」って周りに言われるくらい、昔からテレビを見ることも出ることにも真剣なんです。

いつか母が見せてくれた昭和のテレビ番組は衝撃でした。
電波少年、志村けんのコント、妖怪人間など「そんなことやっていいの!?」って危険な香りがする番組とか、見ていてヒヤヒヤするようなものやグロテスクな描写。

お互いに食ってかかるような雰囲気や、言ってはいけないことをどれだけお笑いでカバーするかという面白さがあるように感じました。それをできなくさせる視聴者も好きではないし、できなくなるテレビも好きではないと思っています。

アメリカのテレビを見ていると、できないことも多くなってきてる中でどれだけ戦うかっていう挑戦をしていると感じます。でも日本では、そもそも「仕掛ける」ことをしなくなってしまったように感じています。事なかれ主義というか

それでも、テレビ出演は信頼できる大人達や尊敬する人たちにも出会えたかけがえのない経験です。時代に合わせないといけないのもわかっているし、今のやり方にもリスペクトをしつつ、僕は僕のできる範囲で表現の幅を広げて行きたいなって思っています。

Q4

現在は美大に通いながらバレエの研究をされているそうですが、バレエとの出会いを教えてください!

僕が高校生の時、テレビ局のプロデューサーに「お前の話はつまらないから売れない間にエピソードを作ってこい」といわれて、ネタ探しを始めました(笑)それで始めたのがバレエです。

痩せたい、体柔らかくなりたい、音楽学びたい、だけど楽器は壊してしまうかもしれない(笑)男友達が欲しい、でも学校の男はみんな合わない、芸術のわかる男と友達になりたくて、フィギュアスケートに挑戦したいと思った時期もありましたが、なんにせよレッスン代が高すぎる(涙)

色々な葛藤があって試行錯誤した結果、学校の近くにバレエ学校を発見したんです。ボーイズクラスがあって、生ピアノでレッスン受けられて、西洋的な建築。ぜんぶドンピシャに気に入って即申し込みました。

Q5

ネタ探しで始めたバレエですが、はじめた時と今の印象は?

始めた当初はあまりにも自分の範囲外のことすぎて、ずっころんだとしても、怒られたとしても全てネタだと思って笑っていました。逆に褒められたら「ラッキー!」みたいな(笑)

でも、レッスンを通じてプロのダンサーさんたちを見ていくうちに、求められるレベルの高さとその美的感覚に衝撃を受けました。

幸運にもバレエ団のエキストラとして呼ばれ参加した際に、何十人も一緒になって踊る「バックダンサー」でもこんなに踊りが上手いの!?ってびっくりしたんです。後になって、バレエにバックダンサーはいなくて一人一人に役があることを知りました。

バレエは誰もが主人公になれる技量を持っているのに、一人一人が与えられた役を全うするために、毎日何時間も練習する。これが、プロの集団なんだなって思いました。

芸能界には雑魚でもスターになれるかもしれないという夢がある。素晴らしく良くも悪くも。
だけど、「立てないダンサー」なんてバレエの世界ではありえないんだなと思ったんです。

バレエって美しい、もっと知りたい、このコミュニティーを見ていたい。その思いが強くなってどんどんのめり込んでいきました。

Q6

「立てないダンサーなんていない」この表現からプロ意識の高さが伝わってきてゾクゾクしました!バレエを通して学んだことは?

時間と忍耐が必要なこと、自分のキャパシティーを知ることです。

無理に自分の技量に合わないことをしてしまうと転んで怪我をしてしまいます。まずは自分の技量にあった努力を毎日積み重ねていくことが大切なんだと学びました。

バレエをはじめてからテレビに対する考え方も変わりました。フェイクだって文句を言うよりも、目の前の仕事にひとつずつ真摯に向き合い、バレエでいうところの「役」に必要な経験を一歩一歩着実に積むことが大切だなと。身の丈にあった仕事をして地に足をつけながら、客観的に自分のキャパを知ること。

きっかけは不純でしたが、バレエを通して今までになかった新しい自分や目標に出会えて、とても学びや気づきが多いと感じています。

Q7

バレエを通して新しい自分を発見できたんですね!目標についても聞かせてください!

僕がアメリカに行った理由でもあり、大学に行った理由でもあるのですが、長期的な目標としてクラシックバレエの映画を作りたいと思っています。

「ド古典」な作品を映像にしたいんです。

実は今あるバレエの舞台って元々のお話から少しずつ書き換えられていて、役にも多様性を盛り込んだり過激なシナリオを万人受けするようにアレンジしたり。

本来バレエの舞台は、ミニマムなセットと衣装で、演技や表現という存在感で見せるものだと聞いたことがあります。

今は衣装や舞台装飾を変えることで観客にとっては「見るべき人」「見るべき場所」がわかりやすくなっています。それはそれでいいとは思いますが、文化を継承していくにはお客さんの目を養って育てることも必要だと自分自身も含めて感じています。

関係者にとっても見る人にとっても発見になるようなバレエの映画を作りたい。

きっかけになったのは17才の時に見た、古代インドを舞台にしたバレエ「ラ・バヤデール」でした。結構過激な三角関係のお話で、一人の男性を狙って二人の女性が殺し合おうとするシーンまである作品。4幕中2幕目でヒロインがみんなの前で殺されちゃったり、王がアヘンを吸って舞台が突如彼の幻覚の世界になったり、「古典バレエって、こんなに面白いの!?」って衝撃的でした。

17歳からバレエを始めた自分はプロのバレエダンサーにはなれないかもしれないけど、芸能界やバレエの経験を活かして何かをやりたい。それが古典バレエのコンテンツ提供じゃないかなと思いました。

これにはたくさんの人の協力が必要ですし、もっともっと歴史や民族についての勉強しないといけない。それでまず英語や映像の勉強をしたくてアメリカへ留学したんです。

Q8

 アメリカ留学という大きな決断、不安はありましたか?

全くありませんでした。

むしろ、どこかでずっと日本に馴染めないと感じていた自分がいて、日本から出たい、アメリカに答えがあるんじゃないかって思っていました。小さい頃はアメリカの家族を訪れる度に、日本に帰りたくないって号泣してました(笑)

結局その頃は仕事もあって長期で住むのは難しかったですが、高校卒業後は事務所も辞められて自由に動けるようになりましたし、今がチャンス!逃したら一生後悔するかもしれないと思って決意しました。

Q9

 ソーズビーさんにとって、待ちに待った留学だったんですね!久しぶりの故郷に住んでみて、日本とのギャップは感じましたか?

HOME、シンプルにそう思いました。オレゴン州ポートランドはカルチャーも人もご飯も自然も大好き。いつでも戻りたいし、この病院で死にたいと思うところも見つけました。
しかし東京で育ってしまった手前、街のテンポがあまりに遅くて生活はできないと思いました。

そこで当初の計画通りロサンゼルスに移動しましたが、人の遅さは変わらなかったですね。周りにそれを話すと「君はファッションも話し方も歩き方も完全にニューヨークの人間だよ。出て行け」と言われました(笑)

Q10

出て行けと言われたのは最高の褒め言葉だったと察します(笑)映像の勉強はいかがでしたか?

思ったようにうまく行かないことも多くて、全米で旅公演をするブロードウェイを毎月迎える劇場で、まずは劇場案内人としてアルバイトをして食い繋ぎました(笑)毎日仕事中に生でミュージカルが見られる過去最高のバイトでしたが、同時にアメリカとアートに対する価値観もガラリと変わりました。

アメリカのオーディエンスにがっかりしたんです。
役者が音を外しても、中途半端なダンスを見せても、ヒューヒュー言って拍手喝采。これでは役者たちの仕事はDVDを流してるのと変わらない。

劇場としてもブロードウェイ・プロダクションとしても、観客からの批評を得られないのこの現実を目の当たりにして、ブロードウェイやハリウッドが低迷するのも当然だなと感じてしまいました。

この国で、少なくともハリウッドではアートは学べない。特に自分がやりたいクラシック・バレエの実験的なことは参考にならないと思いました。

Q11

アメリカといえば自由で様々なバックグラウンドの方も多くて、豊かな文化を持つ国だと思っていました!多様性についてはいかがでしょうか?

アメリカ留学きて最初に降り立ったHOMEのオレゴン州ポートランドは「多様性」や「サステナブル」の走りの様な街です。住みたい街ランキングにも数年間一位になりました。ですが、僕がいた時には移住する人が急激に増えたことで、自慢だった交通網はしょっちゅう渋滞、バスや電車も治安が悪化しました。

さらに、ホームレスを「キャンパー」と呼び受け入れ政策を始めてしまったら歯止めが効かなくなり、全米からは片道切符でバスにキャンパー達が送り込まれたそうです。ホームレス同士の殺人も多発していました。

僕の原風景である大好きなおじいちゃん家のエリアも危険なエリアに変わりました。

家族の行きつけで思い出だったマズい中国料理屋「Happy Garden」はマリファナ屋さんになりました。まあ、ある意味「Happy Garden」でした(笑)

パンデミック中にはさらに悪化していて、道路は人糞と注射器だらけになってしまいました。

「多様性」とは果たして正義なのか?非常に考えさせられる事実でした。

Q12

「多様性は正義なのか」考えさせられる問いですね。良い面も悪い面もあると思いますが、ボーダーレスな世界を実現するためにはどんなことが必要だと思いますか?

今はSNSで誰もが発信できる時代。自分の意見を言える環境はいいけれど、「多様性」という言葉に囚われすぎて、当事者以外の口先だけの議論ばかりになってしまっていないか。もう一度本来の意味に立ち返らないといけないと思いました。

多様性という言葉は「分断」でもあると聞いたことがあります。
LGBTQ+みたいにカテゴライズするのは分かりやすいですが、本当に必要でしょうか。カテゴライズすることで逆に幅を狭めてしまうのではないかと思います。

そういった「ラベル」や「カテゴリー」に囚われず、お互いの違いを尊重することに尽きると思います。

Q13

お互いの違いを尊重すること。私も同感です!理想のライフスタイルはありますか?

世界各国を転々としながら暮らすことです。
実は空港が大好きで、いつもドレスアップして行きます。
とは言ってもスーツを着たりするわけではなくて、快適さの中におしゃれを追求する感じです。

広々とした空間に綺麗な建築。
最近気が付いたんですが、空港の異文化が混ざりあう、“違う”が当たり前の空間が、
日本で麻痺するほどマイノリティやってる私に実はかなり心地がよくて。
知らない世界に触れられるこの環境はとてもワクワクします。

昔は飛行機もスーツアップして乗っていたし、劇場でも技術や作品に対してドレスアップすることで敬意を表していますよね。

私には、はてしない尊敬と期待と出会いが空港にはあります。
だからドレスアップして空港に行きます(笑)

Q14

想像しただけでワクワクしてきました!私もドレスアップして空港に出かけたくなりました。改めてこれからのソーズビーさんの目標や挑戦したいことを教えてください!

現在、美術大学の仲間と一緒に移動可能でミニマムな劇場を作っています。
ポートランドでも流行っていたTiny Houseにちなんで、『TinyTheather』と名づけました。

「見に来てもらう舞台」ではなくて「見せに行く舞台」。

この夏、TinyTheater 第1号で『Park Ballet~公園で公演~』を企画しています。これまでの美大やバレエ、芸能界での学びを総括したものを、学生ノリで楽しく挑戦し、バレエ研究の今までとこれからに役立てようと企んでおります。

まずはバレエを知らない人にもバレエを知ってもらいたい。

バレエをちゃんと見ようとすると長いんですが、僕たちがやるバレエは、通りすがりの誰もがわかりやすいように切り抜きをしようと思っています。

観る者を限定しない公演がしたいと思っています。

Q1

小さい頃から芸能界で活躍し、渡米して劇場で仕事をしたり、
帰国後も大学に行きながらバレエやアートを学ぶなどとても面白い経歴の持ち主ですが、芸能界デビューのきっかけは?

アメリカのポートランド生まれのソーズビーです。レディーガガや安室ちゃんに憧れて、ヒップホップのダンスレッスンに通いはじめたことがきっかけです。

ハーフのダンスキッズは案件が多く、MVやCMなどのオーディション情報が沢山来る様になって、一番最初に受けたオーディションがランドセルのCMで合格しました。

でも家族旅行と被ってたので出演を断ってしまったんです。しばらくしてテレビを見ていたら自分が出るはずの役はベッキーさんとの共演だったことを知り、超ジェラス。

そこからオーディションに本気で取り組み、何十件も落ちて... 1年半かけてようやく受かったのがマクドナルドのハッピーセットでした。本番でスポットライトを浴びた時に「これだ!」ってビビッと来ました。母も、「ダンスは1番下手だけど、過去1番にいい顔してる」と思ってくれたみたいです。

Q2

それから「ピラメキーノ」や「天才テレビくん」など数々の番組に出演してきましたが、芸能界でのお仕事はソーズビーさんにとってどんな経験になりましたか?

とても色んな気づきがありました。今はよく自虐的に「元クソ子役です」とか言いますが(笑)実際は、自分らしくいられるお仕事に恵まれたと思います。

ハーフでおばさんみたいな喋りをする子どもだったので、学校ではよくイジられていたんですが、仕事先の大人には「just be yourself」と言われていたので、比較的何も考えずにのびのびと好き勝手させてもらっていました。当時の僕にとっては必要な環境でした。

その一方で、芸能界は人気商売。日本で言うところの「人気」はいかようにも強引に作り出すことができて、そのシステムや業界の美学には全く妥協ができないと思うこともありました。

高校時代に縁があり、民放局の生放送の現場を毎週見学していて、学生ながらに「テレビの世界って大人の都合で回ってるんだな」って感じたこともありました。あとは、仕事だから割り切って取り組むことは仕方がないとも思うけど、場に求められる発言をするために嘘をついたり、投げやりになっていた人もいました。

でも、「人に笑いやエネルギーを届ける人が死んだ目しててどうするの」って。ポジションが欲しくてももらえないことも多かった自分からすると、「そのチャンスを掴んだ人が最大限にできることをしないでどうするんだ」っていうモヤモヤがありました。

Q3

「人に笑いやエネルギーを届ける人が死んだ目をしてる」
ドキッとさせられますね。妥協できない部分を踏まえた上でソーズビーさんは今後どうしていきたいですか?

「ソーズビーほど真面目にテレビを見る人っていないよ(笑)」って周りに言われるくらい、昔からテレビを見ることも出ることにも真剣なんです。

いつか母が見せてくれた昭和のテレビ番組は衝撃でした。
電波少年、志村けんのコント、妖怪人間など「そんなことやっていいの!?」って危険な香りがする番組とか、見ていてヒヤヒヤするようなものやグロテスクな描写。

お互いに食ってかかるような雰囲気や、言ってはいけないことをどれだけお笑いでカバーするかという面白さがあるように感じました。それをできなくさせる視聴者も好きではないし、できなくなるテレビも好きではないと思っています。

アメリカのテレビを見ていると、できないことも多くなってきてる中でどれだけ戦うかっていう挑戦をしていると感じます。でも日本では、そもそも「仕掛ける」ことをしなくなってしまったように感じています。事なかれ主義というか

それでも、テレビ出演は信頼できる大人達や尊敬する人たちにも出会えたかけがえのない経験です。時代に合わせないといけないのもわかっているし、今のやり方にもリスペクトをしつつ、僕は僕のできる範囲で表現の幅を広げて行きたいなって思っています。

Q4

現在は美大に通いながらバレエの研究をされているそうですが、バレエとの出会いを教えてください!

僕が高校生の時、テレビ局のプロデューサーに「お前の話はつまらないから売れない間にエピソードを作ってこい」といわれて、ネタ探しを始めました(笑)それで始めたのがバレエです。

痩せたい、体柔らかくなりたい、音楽学びたい、だけど楽器は壊してしまうかもしれない(笑)男友達が欲しい、でも学校の男はみんな合わない、芸術のわかる男と友達になりたくて、フィギュアスケートに挑戦したいと思った時期もありましたが、なんにせよレッスン代が高すぎる(涙)

色々な葛藤があって試行錯誤した結果、学校の近くにバレエ学校を発見したんです。ボーイズクラスがあって、生ピアノでレッスン受けられて、西洋的な建築。ぜんぶドンピシャに気に入って即申し込みました。

Q5

ネタ探しで始めたバレエですが、はじめた時と今の印象は?

始めた当初はあまりにも自分の範囲外のことすぎて、図っ転んだとしても、怒られたとしても全てネタだと思って笑っていました。逆に褒められたら「ラッキー!」みたいな(笑)

でも、レッスンを通じてプロのダンサーさんたちを見ていくうちに、求められるレベルの高さとその美的感覚に衝撃を受けました。

幸運にもバレエ団のエキストラとして呼ばれ参加した際に、何十人も一緒になって踊る「バックダンサー」でもこんなに踊りが上手いの!?ってびっくりしたんです。後になって、バレエにバックダンサーはいなくて一人一人に役があることを知りました。

バレエは誰もが主人公になれる技量を持っているのに、一人一人が与えられた役を全うするために、毎日何時間も練習する。これが、プロの集団なんだなって思いました。

芸能界には雑魚でもスターになれるかもしれないという夢がある。素晴らしく良くも悪くも。
だけど、「泣けない女優」あんてバレエの世界ではありえないんだなと思ったんです。

バレエって美しい、もっと知りたい、このコミュニティーを見ていたい。その思いが強くなってどんどんのめり込んでいきました。

Q6

「泣けない女優なんていない」この表現からプロ意識の高さが伝わってきてゾクゾクしました!バレエを通して学んだことは?

時間と忍耐が必要なこと、自分のキャパシティーを知ることです。

無理に自分の技量に合わないことをしてしまうと転んで怪我をしてしまいます。まずは自分の技量にあった努力を毎日積み重ねていくことが大切なんだと学びました。

バレエをはじめてからテレビに対する考え方も変わりました。フェイクだって文句を言うよりも、目の前の仕事にひとつずつ真摯に向き合い、バレエでいうところの「役」に必要な経験を一歩一歩着実に積むことが大切だなと。身の丈にあった仕事をして地に足をつけながら、客観的に自分のキャパを知ること。

きっかけは不純でしたが、バレエを通して今までになかった新しい自分や目標に出会えて、とても学びや気づきが多いと感じています。

Q7

バレエを通して新しい自分を発見できたんですね!目標についても聞かせてください!

僕がアメリカに行った理由でもあり、大学に行った理由でもあるのですが、長期的な目標としてクラシックバレエの映画を作りたいと思っています。

「ド古典」な作品を映像にしたいんです。

実は今あるバレエの舞台って元々のお話から少しずつ書き換えられていて、役にも多様性を盛り込んだり過激なシナリオを万人受けするようにアレンジしたり

本来バレエの舞台は、ミニマムなセットと衣装で、演技や表現という存在感で見せるものだと聞いたことがあります。

今は衣装や舞台装飾を変えることで観客にとっては「見るべき人」「見るべき場所」がわかりやすくなっています。それはそれでいいとは思いますが、文化を継承していくにはお客さんの目を養って育てることも必要だと自分自身も含めて感じています。

関係者にとっても見る人にとっても発見になるようなバレエの映画を作りたい。

きっかけになったのは17才の時に見た、古代インドを舞台にしたバレエ「ラ・バヤデール」でした。結構過激な三角関係のお話で、一人の男性を狙って二人の女性が殺し合おうとまでする作品。4幕中2幕目でヒロインがみんなの前で殺されちゃったり、王がアヘンを吸って舞台が突如彼の幻覚の世界になったり、「古典バレエって、こんなに面白いの!?」って衝撃的でした。

17歳からバレエを始めた自分はプロのバレエダンサーにはなれないかもしれないけど、芸能界やバレエの経験を活かして何かをやりたい。それが古典バレエのコンテンツ提供じゃないかなと思いました。

これにはたくさんの人の協力が必要ですし、もっともっと歴史や民族についての勉強しないといけない。それでまず英語や映像の勉強をしたくてアメリカへ留学したんです。

Q8

 アメリカ留学という大きな決断、不安はありましたか?

全くありませんでした。

むしろ、どこかでずっと日本に馴染めないと感じていた自分がいて、日本から出たい、アメリカに答えがあるんじゃないかって思っていました。小さい頃はアメリカの家族を訪れる度に、日本に帰りたくないって号泣してました(笑)

結局その頃は仕事もあって長期で住むのは難しかったですが、高校卒業後は事務所も辞められて自由に動けるようになりましたし、今がチャンス!逃したら一生後悔するかもしれないと思って決意しました。

Q9

 ソーズビーさんにとって、待ちに待った留学だったんですね!久しぶりの故郷に住んでみて、日本とのギャップは感じましたか?

HOME、シンプルにそう思いました。オレゴン州ポートランドはカルチャーも人もご飯も自然も大好き。いつでも戻りたいし、この病院で死にたいと思うところも見つけました。
しかし東京で育ってしまった手前、街のテンポがあまりに遅くて生活はできないと思いました。

そこで当初の計画通りロサンゼルスに移動しましたが、人の遅さは変わらなかったですね。周りにそれを話すと「君はファッションも話し方も歩き方も完全にニューヨークの人間だよ。出て行け」と言われました(笑)

Q10

出て行けと言われたのは最高の褒め言葉だったと察します(笑)映像の勉強はいかがでしたか?

思ったようにうまく行かないことも多くて、全米で旅公演をするブロードウェイを毎月迎える劇場で、まずは劇場案内人としてアルバイトをして食い繋ぎました(笑)毎日仕事中に生でミュージカルが見られる過去最高のバイトでしたが、同時にアメリカとアートに対する価値観もガラリと変わりました。

アメリカのオーディエンスにがっかりしたんです。
役者が音を外しても、中途半端なダンスを見せても、ヒューヒュー言って拍手喝采。これでは役者たちの仕事はDVDを流してるのと変わらない。

劇場としてもブロードウェイ・プロダクションとしても、観客からの批評を得られないのこの現実を目の当たりにして、ブロードウェイやハリウッドが低迷するのも当然だなと感じてしまいました。

この国で少なくともハリウッドではアートは学べない、特に自分がやりたいクラシック・バレエの実験的なことは参考にならないと思いました。

Q11

アメリカといえば自由で様々なバックグラウンドの方も多くて、豊かな文化を持つ国だと思っていました!多様性についてはいかがでしょうか?

アメリカ留学きて最初に降り立ったHOMEのオレゴン州ポートランドは「多様性」や「サステナブル」の走りの様な街です。住みたい街ランキングにも数年間一位になりました。ですが、僕がいた時には移住する人が急激に増えたことで、自慢だった交通網道路はしょっちゅう渋滞、バスや電車も治安が悪化しました。

さらに、ホームレスを「キャンパー」と呼び受け入れ政策を始めてしまったら歯止めが効かなくなり、全米からは片道切符でバスにキャンパー達が送り込まれたそうです。ホームレス同士の殺人も多発していました。

僕の原風景である大好きなおじいちゃん家のエリアも危険なエリアに変わりました。

家族の行きつけで思い出だったマズい中国料理屋「Happy Garden」はマリファナ屋さんになりました。まあ、ある意味「Happy Garden」でした(笑)

パンデミック中にはさらに悪化していて、道路は人糞と注射器だらけになってしまいました。

「多様性」とは果たして正義なのか?非常に考えさせられる事実でした。

Q12

「多様性は正義なのか」考えさせられる問いですね。良い面も悪い面もあると思いますが、ボーダーレスな世界を実現するためにはどんなことが必要だと思いますか?

今はSNSで誰もが発信できる時代。自分の意見を言える環境はいいけれど、「多様性」という言葉に囚われすぎて、当事者以外の口先だけの議論ばかりになってしまっていないか。もう一度本来の意味に立ち返らないといけないと思いました。

多様性という言葉は「分断」でもあると聞いたことがあります。
LGBTQ+みたいにカテゴライズするのは分かりやすいですが、本当に必要でしょうか。カテゴライズすることで逆に幅を狭めてしまうのではないかと思います。

そういった「ラベル」や「カテゴリー」に囚われず、お互いの違いを尊重することに尽きると思います。

Q13

お互いの違いを尊重すること。私も同感です!理想のライフスタイルはありますか?

世界各国を転々としながら暮らすことです。
実は空港が大好きで、いつもおしゃれして行きます。

広々とした空間に綺麗な建築。
最近気が付いたんですが、空港の異文化が混ざりあう、“違う”が当たり前の空間が、
日本で麻痺するほどマイノリティやってる私に実はかなり心地がよくて。
知らない世界に触れられるこの環境はとてもワクワクします。

飛行機も元々はドレスアップして乗っていたし、劇場でも技術や作品に対してドレスアップすることで敬意を表していますよね。

私には、はてしない尊敬と期待と出会いが空港にはあります。
だからドレスアップして空港に行きます(笑)

Q14

想像しただけでワクワクしてきました!私もドレスアップして空港に出かけたくなりました。改めてこれからのソーズビーさんの目標や挑戦したいことを教えてください!

現在、美術大学の仲間と一緒に移動可能でミニマムな劇場を作っています。
ポートランドでも流行っていたTiny Houseにちなんで、『TinyTheather』と名づけました。

コンセプトは「見に来てもらう舞台」ではなくて「見せに行く舞台」。

この夏、TinyTheater 第1号で『Park Ballet~公園で公演~』を企画しています。これまでの美大やバレエ、芸能界での学びを総括したものを、学生ノリで楽しく挑戦し、バレエ研究の今までとこれからに役立てようと企んでおります。

まずはバレエを知らない人にもバレエを知ってもらいたい。

バレエをちゃんと見ようとすると長いんですが、僕たちがやるバレエは、通りすがりの誰もがわかりやすいように切り抜いて見せていきたい。

新しい表現をしたい、観る者を限定しない公演がしたいと思っています。

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